シンギュラリティこわい

世に対する疑問、音楽の解釈、ふと思ったこと、積年の思考、すべて表現の自由の担保

現在の日本の音楽シーンを創るものは何か

どうも。ビバ春休み!がしかしどうにも6時に寝る生活から脱却できない。ぼちぼち治さねば。

今回は年も明けたので、今改めて日本の音楽シーンを俯瞰したときに見えてくる現状を分析してみることで、世界における日本の音楽シーンの独自性とか、起きている変化を捉えて、それによって自分達が今メインストリームで聴いている音楽の価値など、まで掘り下げることができればなと思う。何の意味があるのかと言われれば別にこれといった意味はないわけなのだが、聴いている音楽は多様であればあるほど豊かな気持ちになれる、楽しみ方が指数関数的に拡がる、という持論に基づく企画である。人生における音楽の価値・位置付けは当然人それぞれであるけれども、少なくとも人生の大きな楽しみのひとつとして音楽を嗜んでいる人にとっては自身の音楽観に自覚が芽生えるというのは娯楽としても意味のあることだと思うのでそういう人はよかったら覗いてみてね。無論ロックだEDMだと特定のジャンルしか聴かないことが悪いとかそういったことでは一切ないのでそこは留意していただきたい。音楽であれ何であれ芸術というものは「楽しむ」という観点からすると悉く主観的であることは間違いないので。

てなわけで早速始めていきたいと思う。現在の日本の音楽のメインストリームに君臨しているアーティストの音楽性・バックグラウンドを掘り下げることで日本人がどういった音楽を今現在好んでいるのか・あるいはアーティストがリスナーに聴かれやすい形で聴いてもらおうとしているのか、を分析していく。勿論全アーティストを取り上げることなど不可能なので、今回は数組に絞った。以下、彼らの音楽性を分析してみる。

 

Official髭男dism

もはや説明不要だと思うので紹介は割愛。2019年一気に国民的アーティストにまで上り詰めた彼ら。偶然ヒットしたのだろうか。いや違う。偶然が重なって何曲もヒットチャートを髭男の曲が占めるということはまずない。彼らは大衆に聴かれるべくして聴かれ、広がるべくして広がったのだと私は思う。ではその彼らの音楽性はどういったものか、具体的にみていこう。

まず、彼らのルーツとして1番大きなものは間違いなくブラックミュージックだ。とりわけドラムパターン・リズムという観点においてブラックミュージックをとてもリスペクトしていると思う。様々なジャンルを横断的に楽曲に取り込んでいる彼らだが、その根幹はこれらのブラックミュージックで間違いないだろう。ちなみに本人達はデビュー前、様々な音楽を聴いてはいたがとりわけメタルを好んで聴いていたらしい。確かに「Fire Ground」など、あるいはギターソロのある曲では、メタルの要素を含んだ曲もある。

そして彼らのアルバム「エスカパレード(2018)」では大々的に70年代のディスコミュージックを取り入れている。それもただ焼き直しをしているわけではなく、アレンジ面で現代的にアップデートして自分達の音楽として改めて鳴らしている。さながらBruno Marsを彷彿とさせるゴージャス感。この「前時代の音楽を解釈し直してもう一度持ってくる」という行為は時代とともに進化する音楽の本質とも言えるだろう。その意味でも、彼らは音楽の進化の断片を間違いなく担っている、称賛されるべきアーティストだと思う。他にも「宿命」で取り入れられているファンクをルーツに持つホーンセクションとシックなシンセベースなど、枚挙に暇がない。是非自分の耳で他にも沢山確認してみてほしい。

そして最新曲「I LOVE...」では、遂に日本以外の全世界のトレンドであるHip Hopで使用されるハイハットが印象的なビートを取り入れた。世界ではラップを乗せていたこのビートに練りに練ったメロディ・アレンジを乗せたのは彼らが初めてではないだろうか。底知れない。恐らくこれからも無限に進化していくのだろう。

このように、私達が好んで聴くアーティストには必ずルーツが存在する。それは前述した「音楽の進化」の観点から分かっていただけると思う。自分の好きなアーティストのルーツを辿ってみる、これも音楽の楽しみ方のひとつだと思う。「あぁこの曲のこの部分からヒントを得ていたんだ」とか、気づくことがとても沢山ある。本当に。そうやって音楽の聴き方が拡がっていくのは少なくとも私は本当に楽しい。

ただひとつ言っておきたいのは、そのルーツを自らの音楽に昇華するのは簡単なことではないし、ただの焼き直しと言われてしまう可能性もある。もっと言えばそういう楽曲制作の際に取り入れるエッセンスを選ぶ「アンテナ」もとても優れているということだ。その中で彼らは独自性・大衆性を保ち続けている。これが如何に凄いことなのかは私が言うまでもない。

そして、Vo.藤原聡の圧倒的な歌唱力をもって髭男の音楽は完成し、圧倒的なクオリティを確かなものにしている。この両者どちらかひとつ欠けても髭男がここまで大きなアーティストになることはなかったのではないか、そう思わずにはいられない。言うまでもなく、これからも要注目である。

 

King Gnu

彼らも説明は不要だろう。一言では括り難い独自の音楽性を堅持する彼ら。敢えてジャンルを付けるとしても「ミクスチャー」だろう。ちなみに本人達は自らの音楽ジャンルを「トーキョー・ニュー・ミクスチャー」として提言しているらしい。ともあれ、掘り下げてみよう。

まず、彼らは全員が全員、選りすぐりの音楽エリートであるということが大きな特徴のひとつである。とりわけリズム隊の2人はセッションミュージシャンとしての顔を持っていたりと、超が付くほど演奏がうまいのだ。そんなバンド多分他にない。よってバンド全体としての演奏力はメジャーなアーティストにおいては日本屈指である。これだけ全体でクオリティの高い、J-Popを鳴らすバンドなどそうそう現れないのではなかろうか。

そして、このバンドの全てのフィクサーである常田大希が鍵を握っている。彼は東京藝術大学の器楽科チェロ専攻を中退している。なので恐らく楽典的な音楽の知識は確実に持っているだろう。藝大へ入学できている時点でその才能に疑いの余地などないのだが、具体的に言及させてほしい。King Gnuの楽曲は彼が全て作詞作曲プロデュースを行なっているため、音楽性は必然的に彼のルーツが表れている。ミクスチャーと称するだけあってクラシック、Hip Hop、ジャズ、R&Bなどのブラックミュージック、オルタナフュージョン、J-Popと正にジャンルレスに要素を取り入れている。とりわけビートに関してはHip Hopの影響を多大に受けていると思う。そしてここが最も面白い点なのだが、恐らくKing Gnuは、自分達がJ-Popをやっている、ポップスをやっているというあるいはやるんだという強い意識があるように思う。これはこのようなミクスチャージャンルにおいては少々特異的で、そもそもポップネスとの共存が難しい、というかほとんど前例がない。100年後くらいの人達がこのジャンルに「ヌー」とかなんとか付けるんじゃないかというくらいに。それほどKing Gnuの音楽が生まれたという事実は後々歴史的に大きくなるんじゃないかとすら思っている。少なくとも日本では。なので世界でも見つかってほしいと思う。そして話を戻すがこのポップネスはVo.井口理の声に強いエビデンスを担保してもらっていると思う。彼のルーツがJ-Pop、邦楽だという事実も大きいのであろう。ちなみに井口も東京藝術大学声楽科卒業(テノール)で、常田と幼馴染である。凄いよね。正に完璧な音楽集団なのである。そしてこういう難しさと大衆性を両立した音楽を意図的にやっているKing Gnu、今後ももっと良からぬ企みをしていることだろう。非常に楽しみ。

ちなみに常田はソロプロジェクト「Millenium Parade」でも並行して活動しているこちらでは本当に自分がやりたいこと思いついたことをやりたい放題やっている、といった印象。とはいえ共通点は多々ある。King Gnuが好きな人は是非聴いてみてほしい。

 

星野源

そしてそしてこの人がおそらくここ最近の日本の音楽シーンにおいて最も重要、最も偉大なミュージシャンだと私は思う。と言っても彼が天才だとかそういう褒め方をするつもりは毛頭ない。才能とかそういったスケールのものではなく、彼の音楽への愛が結実したものが彼の音楽の形なのだと思う。彼の音楽に対する向き合い方、フィロソフィー、日本の音楽をリスナーから底上げして進化させたいのだという強い意志が変態的なのだ。本当に「凄い」。

星野源の音楽を分析する上で欠かせないのが、「イエローミュージック」である。先程King Gnuの音楽に後々ジャンルとして名前がつくんじゃないのかという話をしたが、このイエローミュージックに関しては、既に識者・音楽業界の方では使われている言葉である。これは今や彼が持っている唯一無二のジャンルとなったが、これにも当然バックグラウンドが存在するわけである。まず、彼の最大のルーツはブラックミュージックだ。わかりやすいのがドラムのタイトなビートである。これが星野源の音楽を星野源の音楽たらしめる所以である。R&B、ソウル、ジャズ、ブルースと彼の楽曲の中には様々なブラックのエッセンスを感じるが、これらをただ単に突き詰めているだけではなく早回しにしてタイトなリズムにしたり、日本情緒をもつポップスつまり自分の音楽性の融合を行えた。そしてそのクオリティは確かなものとして認められているし、楽典的にも実際そうだ。ここまでメインストリームを席巻している、日本一といっても語弊はないであろうアーティストが挑戦的・野心的に、なおかつ自身の音楽をルーツからトップまで俯瞰して音楽制作に取り組んでいること自体が稀有であるのだ。繰り返すがだからこそ星野源は本当に「凄い」のだ。名だたる重鎮的アーティストが手放しで星野源を褒めちぎるのだ。これほどまでに洗練された難しいポップスなど日本中どこを見渡しても存在しないのだろう。それが大衆音楽として受け入れられているのも本当に凄い。そう考えると、今現在極上の音楽を聴けている私達、スーパー幸せなのではなかろうか。

具体的な楽曲の話をしよう。彼の代表曲「」も、彼が自信を持って発信するイエローミュージックとのこと。ここでテーマになっているのが「モータウン」というジャンル。こいつを早回ししたら面白いんじゃないかということで「モータウン・コア」としてこのテンポ感で改めてつくったらしい。これも彼のルーツが広いが故に生まれるアイデアの豊かさである。

彼の曲でも1番スーパーな曲が「イデア」である。自身の最大のアイデンティティであるイエローミュージックはそのままに、2番ではトラップビートを全編にわたって貫いている。普通Bメロだけとか、極めて局所的に差し込むのが限界なのだが、彼は違った。そこを突き破ることのできるある種で横綱相撲的とも言えるクリエイティング。そして彼の原点である弾き語りを経てイエローミュージックへと帰還するという、彼の音楽への途方もない愛の結晶とでも言うべき1曲なのだ。実にこの曲の制作には8ヶ月かけたということであった。

もっと言ってしまうと、星野源は日本の音楽リスナーの底上げを図ろうとしているのではなかろうか。海外のビートや音を取り入れた「攻めすぎ」とも言えるくらいの音を作りながらもポップスとして昇華している彼の曲に対して、純粋になじみ深いポップスとして楽しんでいる人もいるだろうし、これは初めて体験するリズムだ、とか色々思いながら聴いている人もいることだろう。この奇跡とも思える共存状態は彼はきっと意図して作り出してきたと思うし(星野源は以前インタビューで日本に16ビートを浸透させたいという思いを語っていたこともあるほど)、リスナーが特に意識して聴かずともこういった曲が浸透していけばリスナーは無意識にビート感覚をアップデートしていけるわけで、これこそ星野源の狙い・願いなのではなかろうか。

彼の進化は死ぬまで止まらない気がする。星野源のイエローミュージックをHip Hop、トラップビート、ベースミュージック、EDMのマナーなどを加えて更にアップデートした日本音楽史上に燦然と輝くべき大傑作「Pop Virus」は、音楽が「とても」好きな人は全曲擦り減るほど聴くべきである。これを聴き込むだけで音楽に対する地平は今までの比にならないほど広がると思う。必ず。マジで。

 

まとめ

以上、私なりに現在の日本の音楽シーンを分析してみたわけだが、今回私が分析したアーティスト達に共通するものは「万人が好むポップネス(音楽理論的)」と「音楽そのもののクオリティ」を極めて高い次元で共存させているという点である。とりわけそのルーツは例外なく、現在世界を席巻し続けるブラックミュージックにあるという点も興味深い。この2点を掴めているアーティストは国内ではもはや無敵状態であり、彼らの影響を沢山のアーティストが受けることで更に日本の音楽シーンを活性化・グローバル化していけるのではなかろうか。今現在、日本のヒットチャートは世界的にみても特殊であり、チャートのほぼ全部をJ-Popが占めている。あらゆる国でチャートインしている世界の流行であるHip HopやRapはほぼ含まれていない。日本の音楽が「ガラパゴス化」していると言われる所以だ。しかしおそらく日本の音楽シーンは上記の理由から、ここから加速度的に拡がりを見せると私は思っている。とても楽しみ。あ、あと米津玄師取りあげたかったけど疲れてしまった。すんません。そんじゃまた。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。

Attitude (2)

どうも。前回言っていた通り、間髪入れずにこの記事書いております。共有したいことが山ほどあるのです。本当に素晴らしい、大切にすべきアルバムだと思うのです。今までもそうだけどね。

てなわけで、早速前回の続きといきます。何やってたかというと、アルバム2曲目Attitudeの歌詞について割と個人的な気持ち考えをつらつら書いておりました。今回はAttitudeの音楽的側面を紐解いていって、その後に他のアルバム曲についての考え、音楽的な分析を順番に書いていきたいと思っております。今回も行けるところまで。ではレッツゴー。

 

 

2.Attitude ~音楽的な側面~

さて本題。前回の記事でもちょこっと言ったけど、音楽的にもとても言いたいことが沢山ある曲なのだ。確かにこの曲の持つ言葉の力、私達に訴える力はとんでもない。胸を抉られるような感触を得る。だけど、これは元貴さんが書いた「音楽」であることを忘れてはいけない。言葉だけなら音楽である必要はない。「音楽」、それも人々の耳に、心に止まりやすい形の「音楽」であることに意味があるのだ。そうしないとより多くの人に自分の言葉に耳を傾けてもらえないから。だからこそ、この曲が音としても強い力を孕んでいるということを私達は少しでも認識しておくべきだと思う。

まあ私の戯言はこの辺にして具体的な話をしたい。まず、この曲はジャンルとしては「シンフォニックロック」でいいと思う。とは言っても私はこのジャンルの巨頭はイエス(海外のバンド)くらいしか知らない。故に日本ではあまり流行していないジャンルだと思う。元貴さんは何をインプットにしたのだろうか。とても気になる。あまりジャンル分けは重要ではないけど、本人達も様々なジャンルの音楽に挑戦してきたと口にしているし、いかにこのバンドの音楽性が多様であるかを示すために、一応。

ともあれ、一聴すればこの曲の大きなテーマとしてストリングスが印象的に用いられているのはわかると思う。しかも、そのストリングスの音色がとんでもなくいい音なのだ。私はまだアルバム現物が届いてないのでクレジットを見ることができないのでなんとも言えないのだけど、いい音なのだ。蔦谷好位置さんが恍惚の表情を浮かべるのが目に浮かぶほどに。多分これ流石に生音だよね?おそらくプロオケだと思う。(P.S. アルバム届いて確認した結果、プロの方が演奏されていました) より具体的な事を言うと「倍音成分」がとても多い。吹奏楽をやってた人なんかは言ってることがわかるんじゃなかろうか。特にラスサビで伸びやかにうねるフレーズをよく聞いて欲しい。ストリングス隊同士が共鳴して、より高音な成分が聞こえてきて、それがもっと全体を美しく聞かせていないだろうか。普通のと違いがわかんねえよおいって人もいると思うけどもしそうだったらあんまり気にしないでください。

前述したようにシンフォニックロックであることは間違いないのだけど、そこにこれまた当方絶妙なバランス感覚でサウンドアプローチしている。主にドラムかな。4つ打ちだったり2番Bメロのダブステップだったり最後の8分強拍であったり、まあミセスでは割といつものことではあるのだけれど半ばミクスチャーのようなセクションの組み方になっている。なんか当たり前みたいに書いてしまったがこれはミュージシャン誰しもができる芸当ではない。あれ同じような事を前にも書いた気がする。

そして、この曲をシンフォニックロックにしたのは、この形が1番歌詞が伝わると思ったからだと思う。この形が聴いている人に訴求する力が1番あると信じているからだと思う。正直私にはこの上なくシリアスなサウンドに聞こえた。理論的な話をすると、ノンダイアトニックコードの部分と歌詞の感情の抑揚が見事にリンクしていたりだとか本当にグッとくるし、多分この曲を聴いて涙を流してる人は言葉だけに心を動かされたわけではないと思うのだ。この形を纏わないといけない言葉だったと思うのだ。元貴さんはこの曲をもしライブでやるとして、どんな表情で歌うんだろうか。どんな顔で私達のほうを見るんだろうか。

 

前回の歌詞編で全部書ききったと思うと言ってたけど今ひとつ思い出した事を追記させてほしい。

音楽というのは作り手の想いがこれでもかと凝縮され、作り手がその全てを託す芸術作品であると同時に、現代において「商業」でもある。彼らは「ミュージシャン」という職業なのだ。働いているのだ。それでご飯を食べているのだ。なので、彼らのCDを販売するレコード会社、並びに販売店はCDを売らなければならない。当然、売る側は基本的には「売れること」を第一に考えている(あくまでディレクターなどの制作チームは恐らく本人達の意思を最大限尊重していると思うし、なんならコメンタリーなどの発言から考えると元貴さんが先導なのではなかろうか)。メディアも同じ。であれば、宣伝文句やメディア露出におけるパッケージのしかたは「売れる表現、一時的にでも目に止まる表現」を選ぶ。すると、それは作り手の本意から離れることがある。多々あると思う。元貴さんはそこと常に闘っていると思う。歌詞通り、自分の命に等しい大事な曲をどう扱われるかは音楽業界の構造上、自分で決めるのには制限がある。テレビなんかのメディアで、バンド自体を紹介される時もそうだ。恐らくある種視聴者への特徴付け、印象付けのために、誤解のあるパッケージのしかたをされることも正直あったと思う。私達ファンも本当の本質はそうじゃないのに、とか思ったことがあると思う。でもそれ以上に本人は、あの人の中には私達が想像できない葛藤があると思う。その苦悩は、今回のようなストレート過ぎる言葉であれば尚更強いのではなかろうか。(前回の内容とかぶるけど)ああいう歌詞を届けなきゃいけないところに元貴さんがいる、という事実もとても大きい。作家としての根源のようなものを出してしまった、出さなきゃいけなかった。今も苦しんでるんじゃないかな。そのことだけはどんな時も忘れてはいけないと思う。私が言うのはおかしな話かもしれないけどね。でも本当に大切なことだと思うんだ。この意識が薄れてはいけない気がする。

と以上前回の言い忘れでした。ひとまずAttitudeはここまで。本当に大切にしないといけない曲がまた増えた。とはいえこのアルバムはまだまだ始まったばかり。さて次に行こう。

 

3.インフェルノ

この曲はご存知先行配信曲3つのうちのひとつ。でもってアニメ『炎炎ノ消防隊』のOP。ここまでハッキリと歪んだ(ひずんだ)ロックに振り切ったのも久しぶりじゃないのかな。この曲に関しては、作家大森元貴だな、という印象をまず受けた。アニメからタイアップのオファーを受けてそれに応えた形だと思うのだけど、「業火」だとか「熄み(やみ)」だとか「炎(ほむら)」だとか、炎を連想する言葉がふんだんに使われている。でもってめちゃくちゃ韻を踏んでいる。なおかつ意味も整然としすぎているくらいに通っている。圧巻の一言。

そんな作家魂を感じる曲ではあるんだけど、やはり「永遠はない」。こういう今までの曲と同様のテーマも歌っている。ラスサビのフレーズなんかまさに元貴さんと音楽のことのように思えてならない。多くの人がそう感じたんじゃなかろうか。これまでの他のタイアップの曲もそういうところのバランスは本当に凄いと思った。

サウンド面に関しては前述したように、強くロックに振り切っている。そしてそれだけではない。Bメロがトラップビートになっていたり、サビでは低音のホーンセクションがボーカルに時折ユニゾンするようになっていたり、間奏のドラムにふつうはギターにかける歪みがかけられていたり(ボーカルにもゲインをかけている)、この曲が「重さ」を持つためのアプローチが多方面からなされていると思うのだ。

そして初めて聴いた時に1番私が面白いと思ったのは、イントロ・アウトロの二回し目から、ドラムだけが3拍子になるのだ。分かりづらい人は当該箇所からドラムをよく聞きながら1,2,3,1,2,3...と数えながらこの曲を聞くとわかりやすいと思う。私としては、その週の新譜は誰のどんなものでも聴ける範囲で全て聴くので普段から膨大な量の曲をインプットしてきたつもりだったけど、正直こんなギミックのある曲は聴いたことがなかったのでめちゃくちゃビックリした。勿論プログレとかだとこういった展開の曲はあるけどこういう使われ方はされていない。発想の妙。この3拍子がよりサウンドをヘビーに聴こえさせているのだ。ここにも音楽的な挑戦、遊び心を貫く。恐らく楽しくて、やりたくてやってるのには違いないのだけれど、底知れない。

 

4.CHEERS

次。この曲も先行配信された曲のうちのひとつ。元貴さん曰く「このアルバムの中で1番明るい曲」らしい。恐らくこれはアルバム初収録曲の中で、という意味だとは思うけど、これが1番彼の中では明るいらしいのだ。確かにサウンド面では半分その通りと言えばその通りで、半分こそっと違う。多分あえて言及してないだけだとは思う。何を言ってるかというと、これまたかなり詳しい話になってしまうのだけれど、この曲は基本的にはハウス・EDMをルーツに、生音のバンドサウンドとうまく融合させている。ベースになっているコード進行もこういったジャンルでは比較的よく使われるものなのだけれど、グッとくる、切なくなるような箇所がいくつかある。そこには「B7」というコードが使われている。いわゆるセブンスコード。コードについてよくわからない人はまあこのコードの響きは切ないくらいに思ってもらって大丈夫。で、このB7を使っている場所が肝心なのだ。勘のいい人は気づいたかもしれないけど、歌詞でも切なくなるような場所に用いられているのだ。具体的には、「偏った世"の定規"(ココ!)で測られる今日もとりあえずさ」の部分。他にもいくつかある。声のトーンともとてもマッチしている。凄くないですか?

それともう一つ。イントロ・アウトロに入ってる人(赤ちゃん?)の声のようなSE。見事に曲のアイデンティティとして自然に、なおかつ耳につく聴こえ方になっている。元貴さんは一体こういったSEとか珍しい音色をどこから探してきているんだろうか。頭の中で元から鳴ってたりしたらそれはもうとんでもないことだ。あり得そうだけど。P.S.最初の声のSEは元貴さんの声をサンプリングして加工したものらしい。ひぇ〜。

そして歌詞についても私の考えを書きたい。前述の如く、曲調自体は「基本的には」明るい類いである。ところが歌詞は底抜けに明るいというわけではない。むしろ寂しさややるせなさを感じる言葉の方が多いと思う。

偏った世の定規で測られる。色眼鏡で自分を見てくる人は沢山いる。でもこれは事実である。世の中、自分の評価を決めるのは自分じゃなくて他人なのだ。そのことは元貴さんはアンゼンパイでも歌っている。

正直自分の能力なんて

自分が一番わかっているつもりです

そのつもりでした。

誰かの評価で決まるんだよね。

この揺るがない、ある種残酷な事実を受け止めて生きていかなくてはいけない。自分と隠れん坊せずに、向き合って生きていかなくてはいけない。そんな今日だからとりあえずはみんなで乾杯しとこう、というのだ。だって、こんなシンパシー壊れてしまった世界で、「共感」という概念が形だけになって人の心に思いを馳せることがあまりできなくなってしまったやるせない世界で、笑ってないとやってらんないじゃん。だからこそ笑おうワッハッハ。幸せをすがるように求めたり、世の中と向き合うからこそ生まれる矛盾に悩まされたりするけれど、そんな人もとりあえず乾杯して笑おうワッハッハ。

世の中を辛くも生きていくために人々が口にする「愛してる」の声たちすらも、だんだんと活気がなくなってきた。やっていけないよ。厭世だなぁ。そんな中でも四つ葉のクローバー、一縷の希望が落っこちてたりするものなのかもしれない。だから、世の中しょうもないしはっきり言っておしまいだけど、とりあえず前向いてみよう。乾杯。

やっぱり基本的に世の中どうしようもなくなってきている、そんな中で前向いてかないと僕達生きていけないよね、ってことを歌ってるんじゃないかと、そんなふうに私には聞こえた。余談だが、「四つ葉のクローバー」が元貴さんにとってのメンバー4人だったとしたら、こんな素敵なことはあるだろうか。真偽の程は別にしてね。5人が出逢って本当に良かった。

 

5.Viking

さて次。この曲はかなりコンセプトが一貫しているように感じた。タイトルの意味としてはそのまま、中世の北欧で海上から大陸を侵略したと言われているバイキングで間違いはないだろう。イメージとしては近いのは海賊である(厳密には同じものを指してはいない)。また一説では、Vikingという言葉の語源に「航海」という意味もあったのではないかと言われている。この曲にも航海という言葉は出てくる。元貴さんがそこまで知っていて書いていたら恐ろしや。

でもってイントロには波の音が入っている。その海賊やら航海やらが関連しているからであろう。先ほど言ったこの曲がコンセプチュアルというのはこういうところ。スリリングなストリングスのリフの使い方もさながら荒れ狂う海上を進む海賊を連想させるものに感じた。こういうリフを今まで耳にしたものからインスピレーションを得て作っているのだろうけど、いやはや恐ろしいセンス。サビの3オクターブにも及ぶオクターブユニゾンのシンガロングもスケール感をより大きいものにしていると思う。

まず聴いた人が1番最初に思うのが、歌い出し(Aメロ)が英語?もはや何語?か分からない言語に聞こえてしまうことではなかろうか(岡崎体育のNatural Lipsを思い出してしまったことは内緒にしたいと思う)。多分というか間違いなくわざとこういう発音で歌ってるのだろう。遊び心か何だろうか私には分からないけど面白いねぇ。そしてこの歌心。なんか前も書いた気がするけど、元貴さんの歌心にある「憂い」が群を抜いて滲み出ている曲だと思う。クリティカルに言えばブレスの量だとかエッジボイスの使いどころだとかそういう話。全編を通してそれをとても感じる。

ただ、歌っている内容は凄まじい。言葉遊びを織り交ぜながら、後ろ向きな君と僕の気持ちの駆け引きを海上の航海に叙情しているように聞こえた。でもって最後のほう、なかなかにエグいことを言っている。

そう僕は溺れられず生きている

 

そうここは君と僕の世界

本当は溺れたいのだ。時に救いにもなるけど、どっちつかずのラブでモヤモヤしている僕は君が僕に寄ってきてくれるのか確かめた。君は僕を諦めた。沈みたいのだ。沈んで君と僕だけの世界に、僕が行きたい。

骨を流さず残してくれ

僕が死んだ後も僕の骨を海に流さずに、君の元に残してくれ。君と僕の世界。いやぁ。そこまでの狂気的な感情を表現しているのだろうか。なんというか、私には寂しさが爆発しているように聞こえた。寂しさの到達点というか。でも、こういう寂しさを感じてるからこそ元貴さんは愛を謳うんじゃないかなと思う。寂しくなければ人を愛さなくていいし愛されなくていい。そう考えると寂しさは人間が人間らしく生きるために必要不可欠だし、それを無くしてはいけないからこそここまで強くそれを表現してるのかな、とも思う。言い過ぎかな?でも本当にそう思う。

まあ曲の最後のパンチラインとしてはかなり強烈、というかしぬほど強烈ではなかろうか。皆さんはどう感じただろうか。是非聞きたい。

 

6.ProPose

この曲は音楽的にめちゃくちゃ面白い。音楽理論的にではなくて「音」としてね(もちろん音楽理論的に面白い部分もあるので少々後述)。多分このアルバムの中で1番革新的な曲の作り方をしてると思う。一言で言うと「無機質なモダン」。

まず曲構成。

イントロ→Aメロ→サビ→2A→2A(2)→2サビ→間奏→ラスサビ(転調+1)→ラスサビ(2)→アウトロ(転調+1)

 という構成になっている。まあBメロがないのは確かに特徴ではあるけど、それ以上に面白いのは、この曲に関してはメロディの良さを1番の武器として勝負しようとか、そういった狙いがあまり感じられないように思えるのだ。もちろん聴きやすいメロディであることに間違いはない。だがそれ以上に、トラックのほうに耳が行く人が多いのではなかろうか。というか作ってる側もそっちで「遊んで」つくったような気がする。

なぜか。この曲、前半はピアノメインでとてもシンプルかつシックな曲なんだけど、後半(上の構成で言うと間奏から)から怒涛の「遊び」が始まる。楽器隊の動きがバラッバラなのだ。私は最初聴いた時脳がバグった。この人たち頭おかしいんじゃないの?がはじめの感想である。

ふつう楽器隊、特にリズム隊(ドラムとベース)は拍の取り方を合わせる。ドラムのキックの音にベースの頭を合わせる。とかね。だがこの曲、休符を入れるタイミングがバラバラなのだ。バラバラというかもはやランダム。なんだこれ。ジャンル的には一種のプログレとでもいうべきなのかな。これも発想の妙。どうせ言い出しっぺは元貴さんなんじゃないのかね。変態である。褒めている。

で、初めの方に「無機質なモダン」と表現したけど、ボーカルだけは無機質ではなく突き抜けた情緒を感じる。多分そこも狙いがあっただろう。ボーカル以外を徹底的に無機質にサウンドメイクする。本当に面白い。あと個人的にこのサビのコード進行後半好き。オトナ。

そんでもってこの曲も寂しさをとっても感じる言葉が沢山なんだよね。何だろう寂しい曲が続く。というかこのアルバム、全体として寂しい空気感が流れてるんだよね。私にはそんなふうに感じる。空っぽ同士で群れたがるような人間の君に、なんで僕は恋をしてるんだろう。しかもその思いすら告げられない。好きという気持ちに慣れない僕には他の気持ちが付け入る隙がない。でも、哀れなことにそんないっぱいいっぱいなのは疲れちゃうし空っぽになってみたい僕が居る。これらも人間の抱える矛盾のうちのひとつなんじゃないかな。葛藤。人の心の温かさに触れたいのだけれど、誑かされる。人間という生き物、本来は寂しいのだ。だからこそ前述したように愛を求めているんじゃないかな。あくまでも私の考え想像ですのでね。

更に韻もこれでもかってくらい踏んでいる。それでもしっかりと意味が通ってて訴求力があるのが本当に凄いよね。改めて底知れない。

 

7.僕のこと

この曲に関してはかなり話したいことがある。たぶん長くなる気がする。そして初めに言いたい。この曲は奇跡の曲なのだ。それを今から長々と話したいと思う。

まず音楽的な話をしていきたい。この曲は構成とコード進行が非常に面白い、というか稀有だ。私はこの曲と同じ構成、コード進行の曲は今まで聞いたことがない。まず構成から。

A(歌い出し)→B(Aメロ)→C(1サビ)→B'(2A)→C'(2サビ)→間奏→D(冬に咲く花に〜)→A'(落ちサビ)→C''(3サビ)→A

という構成になっている。なかなかに複雑であることがこれを見ただけでも分かると思う。「',"」を付けているセクションは元のものから少し変化している、厳密には同じセクションではないよ、という意味合い。

恐らくこんな構成の曲はない(2回目)。初めて聴いたときのことを鮮明に覚えている。1番を聴いたところまでは通常の曲構成と同じく、2番が繰り返されるのだろうと思っていた。しかしこの曲は違った。2番のAメロでさえ1番と違うのだ。具体的には「みんなもそうなら少しは楽かな〜」の部分。ここは1番にはない。こういうところもフックになっていて聴き手は無意識に「ん?」となるし新鮮に感じる。コードの展開もシリアスで、歌詞との共鳴があってグッとくる。

そして2サビ。なんと、1番で使っていたコード進行と違うのだ。感覚的にいうと、2番のほうが暗くてシリアスな響きがすると思うのだ。気付かなかった人は今すぐ聴き比べてほしい。具体的に言うと

1サビ:G→D→Em→Bm7

2サビ:Em→Bm7→C→D→G→DonF#

「ああなんて素敵な日だ」までのコード進行が上記。「m」というのが「マイナー」と読むんだけど、これがいわゆる暗い響きのコードだ。2番は冒頭からこのコードが使われている。もう一度言うがハッキリ違うのだ(本当にすぐに聴いてみてほしい)。1番と2番がこういう形で違うのは今の日本のポップスではほとんど見られない。しっかりまとまった曲として成立しづらいからだ。この人本当にどこまで凄いんだという感じであるが、こういう奇跡の曲が実在するのだ。

そして間奏で転調(G→Bb)していわゆるCメロに行き、荘厳なブラステーマセクションを通り落ちサビへ。ここも落ちサビというか、1サビの後半部分「僕らは知っている〜」から。何度も言うが、なんと面白い曲構成なのだろうか。そして最後のサビへ。ちなみにここのコード進行は1サビと同じ。最後のサビも、1サビ前半+「全て僕のこと〜」という形で、1サビと全く同じではない。そして最後に歌い出しと同じセクションに戻り、静かに終了。凄い。圧巻である。何なんだこの曲。こういう曲の編曲も全部1人で済ませているというんだから本当にとんでもない。どこからこんな着想を得ているのか。底知れない。

次は歌詞について。歌い出しから胸が締め付けられる。僕と君、同じ人間という生き物なのに何が違うのだろう。何で僕だけがこんなに何かに怯えているのだろう。他の人もそうならいいな。これは元貴さんの本当の気持ちでもあると私は思うし、いろんな人が感じたことがあるんじゃなかろうか。人間関係でも将来の事でも、不安に押し潰されそうなのは自分だけなんじゃないか、他の人も同じだったらこの気持ちを分かち合えるのに。伝わることのない思いもある。寂しいね。本当にこのアルバムの曲達は寂しさが具現化しそうなくらい寂しさを感じる。元貴さんが「暗い」って表現してたのはそういうことも含めてなのかな。この伝わることのない思いっていうのはひょっとしたら、元貴さんにとってはAttitudeで歌っているようなことなのかもしれない。彼のみぞ知るところ。

幸せと思える今日も、夢破れ挫ける今日も、得ては失う日々だけど、全部素敵な日だ。この狭くて広い世界で、必死に踠いて生きている。広くて狭い、じゃない。狭くて広い、なのだ。人間同士の関わり合いは狭いところで行われていることが多いけど、この世界は本当は広い。自分と同じ気持ちの人間が世界のどこかに必ずいる、そんな気持ちにさせてくれるほどにはこの世界は、広い。僕はそんな奇跡を唄うのだ。僕のことは本当に奇跡の曲だし、私にとってはまさにミセスは奇跡を唄っているのだ。

でも、私たちが普段生きている現実に、できなかったことが急にできるとか、そういった奇跡なんてのは無い。無いのだ。死んでしまっているのだ。そんなことはみんな知っている。努力は必ず報われる訳ではない。「奇跡は起こるよ」なんて風に歌う人もいるけど、絶対そうじゃない。それでも、自分が今日まで苦しみながら挫けながら努力してきた「軌跡」こそ君が胸に持つべきもの。全くもってその通りだと思う。綺麗事でもなんでもない、真実を信じて生きていくべきだと私も思う。

そして今日を、今を生きている。大人になるにつれ忘れてしまう学生の、子供の今だからこそ、今しか抱けない何でもできるような気持ち、限りある永遠。いつまで経っても忘れられない、癒えそうにない、治りきらない心の傷。全て含めて、今日を、今を生きる僕を創り上げる僕のこと、僕の人生だ。僕と君とでは生きてきた道が違う、それぞれの人生があるけど、だからこそ僕は僕のために生きていて、僕は僕として生きていく。それだけで、僕が、人間が、この上なく愛しいのだ。愛しいことなのだ。私はそういう風に捉えた。とてもそう思うし、でも普段そんな風に強く意識して生きることは、普通の人間からしてみれば難しい。それをこうして気付かせてくれる。これも、とても愛しいことだ。繰り返すが、受け取り方に正解はない。これは私の考え。

私は僕のことを初めて聴いたとき、歌詞と音楽的革新性両方に心動かされて、今までに味わったことのない感情になったことを本当によく覚えている。だから私は、今でも聴く時に他の曲と違う感触を得るのかもしれない。最後にもう一度言うが、産み落とされたこと自体が、奇跡の曲だ。少なくとも私はそう思って聴いている。

 

8.青と夏

私の体感1番売れた曲。てか数字的にもそうなのでは?何なら映画よりこの曲の方が有名まであるのでは?当方映画観てないですごめんなさい。

具体的に曲について。2時間でこの曲の編曲まで終わらせた大森元貴、天才。以上。

あとMVのラスサビのところ、大好きです。言葉にならない感情がまさにそこにある。

(…青と夏クソ短くね?)

 

と、なんとまあ最後の青と夏の適当さである。まあこの曲に関しては相当浸透してるしいっかということで。てことで今回はここまで。すぐ出すと言っておきながら結局1週間後くらいになってしまった。言葉だけじゃなくて音楽的な面白さ、深さも伝わったかなぁ。残りの曲ももちろん次回以降でバチコリ書いていきたい。なんとか早めに書きたい。言いたいことは沢山ある。ので、よろしければまた読んでください。

あとこのアルバム、なんというか今までのMrs. GREEN APPLEの作品を全部もう一度よく考えて聴き返したくなるような、そんなアルバムだと思うのです。もう一度歌ってきたことを辿っていきたくなる、本質を今一度顧みたくなる。最近ミセスを聴くようになった人達もそういう気持ちになったら、彼らの本意が表面以外に、遂に伝わると思うのです。勿論完全にとは言わない。完全に伝わらないから、届かないから音楽を作り続けるんだと思うし。難しいなぁ。

てかまじで長いな。全部読んだ人すごすぎ。ちなみに私は読んでないよ。

そんじゃまた次回の記事で。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。

 

僕のこと

僕のこと



 

Attitude

どうも。今回こそあまり間を空けずに記事を更新できた!ことを嬉しく思う。今日はしょうもない前置きは無しにして、10/1(火)0時からMrs. GREEN APPLEの4th AL『Attitude』の配信が開始された。そして、先程全ての曲を聴き終えた。かなり時間がかかったが、このアルバムについて、そして今まで自分が知り得る限りのミセスの歩みとこのアルバムの繋がりとかを書ければなということで、出来る限り書いていく。なので今までの私のミセスについての記事のバックナンバーにも目を通してもらえるとすんなり読めるのではなかろうか。ぜひ読んでみてね。

 

Attitude

Attitude

 

このアルバム、ミセスのアルバムとしては過去最多の収録曲数で、17曲も入っている(1曲目はインスト)。しかも前作『ENSEMBLE』から約1年半のスパンで。普通のアーティストでは考えられないのに、大森元貴という人間は編曲・マスタリングまで終えてしまっている。セルフプロデュースのアーティストでこのペース、もう一度言うが本当に考えられない。そういう点でもMrs. GREEN APPLEというアーティストは、大森元貴という人間は他を凌駕している。おそらく本人もそれを理解している。だからこそ無理をして曲をこのペースで産み落とし続けるのだと思う。こういう話は後でたくさん書きたいのでこの辺で。そしてもう一つ、今回のアルバムは事前プロデュースが今までに比べて著しく少ない。3ヶ月連続で楽曲を解禁していったこと以外、アルバムの詳細はメディア展開されていない。初めてアルバムを手にしたその日のファーストインプレッションで決めてくれと言わんばかりに。この辺の考え方は、先日まで行われていたツアー『The ROOM TOUR』に通ずるものがある。私自身も雑誌やらインタビューやら、このアルバムの宣伝は全部シャットアウトして今を迎えた。正直タイトルだけでここまでアルバムを聴くことが「楽しみ」ではない他の感情になったのは初めてだった。

てなわけで早速1曲ずつ掘り下げていきたい。というか自分の曲に対する解釈、気持ちを書いていきたい。初めに言っておくけど1ファンの1感想であることを常に忘れないでもらえれば幸いであります。真意は曲を書いた張本人の大森元貴にしか分からないのだから。まあそれでもこんな捉え方もあるよ、と少しでも自分と違う考えを広げる一助になればと思います。それではいきましょ。

 

 

1.InsPirATioN

これは前述した通り楽器のみのインスト楽曲。勿論のことながらこの曲にも大きな意味があると思っていて、これは私の解釈なので別に真に受けてもらわなくて構わないのだけど、次の曲『Attitude』を書き終えるまでの元貴さんの心理を映し出した情景描写ではないのか、というのが私の想像。

チーンという音が鳴った後に勢いよくストリングスセクションが入ってくるところでまさに"インスピレーション"が爆発する。次々に湧き出る音楽的なアイデア。カチカチとひたすらに打ち続ける歌詞。そして最後にひと息。完成。そのままAttitudeへ。

みたいな風に私は感じた。皆さんはどうだろうか。それぞれの解釈があると思う。このSEだけで膨大に想像が膨らむ。あと、例によって大文字小文字が混合した曲なので小文字部分の意味を調べてみたけど特に出てこなかった。今回はただの遊び心かな?気になるねぇ。次に行こう。

 

2.Attitude

多分1番長いです。

最初に。まだこの曲しか聴いていなかったけど、この曲がこのアルバムの全てだと私は感じた。そしてこの曲からその日は他の曲へ進めなかった。私の周りにもそういう人は何人かいた。

語弊を恐れずに表現するなら「説明書」じゃなかろうか。と同時に、この曲にもあるように「遺言」なんだろう。それもこれまでのどの曲よりも強い。曲を届けてくれる張本人にここまで言わせてしまった。「届かなかった」から。何度も繰り返すけどこれはあくまで私の考え。これほどまでに一つ一つの言葉が切実な元貴さんの本音であったことはあるだろうか。勿論伝えたいことは「世の中本当にうんざりすることばっかりだけど、それでも僕はそういうところも含めてこの世界の愛おしいところだと思うし愛していきたい」というような形でこれまでいろんな形を取ってきたけど一貫してきた。だけれども、この曲は今まで彼が世の中に放ってきた曲達の言葉であると同時にそのどれでもないものも孕んでいると思う。大森元貴という人間の根幹にある世界への考え、人間という生き物への考えや愛、それを歌い続ける理由。一つ一つ、自分なりに考えていきたいと思う。

一度聴いて。「ここ最近、Mrs. GREEN APPLEは世間の沢山の人に知られてきました。本当に嬉しいことだと思います。でも、今ここで、私達の本質、私が音楽をつくり続ける理由を聴いてくれる人には正しく、できれば可能な限り誤解なく知っておいてほしいのです。ただ耳馴染みのいいポップソングとして消費されたくないのです。華やかなエンターテインメントの裏にある本質が届いてほしいのです。でも、人間故にか、なかなかそれは叶いませんでした。なので、これから私と、私の音楽の全てを、そのままお話します。」そう元貴さんが言っているように思えた。この曲は、何故あの人が音楽に自らの全てを託して私達に届けようとしているのか、比喩表現でなく命を削って私達に訴えて、投げかけてくれているのか、それを言葉一つとして遠回しにすることなく伝えている。と私は思う。こんなことが今まであっただろうか。以前の楽曲、1st AL『TWELVE』に収録されている「SimPle」でこんな風に投げかけている箇所がある。嘆きに近いように思う。

無情を唄っても 誰も気付けなくて

君や娯楽を唄っても

まだ届いてなかった

「人なんかいつか死ぬし、何かが始まればいつか必ず、必ず終わりが来る。この世は無情で無常で救いようがない。だけどそれでもこんな世界でずっと生きていこうと思う。正直この世界は壊れてる。どんどん感覚が狂っていってる。そこに気づいてほしい。そんな世界でこの曲を聴いた君だけでも、その狂った感覚から戻ってきてほしい。まだまだ人は本当の意味で人に優しくできる。そんな僕の気持ちを世の中に届けるには、まず誰もが好む、耳馴染みの良い、キャッチーな曲でパッケージする必要がある。じゃないとより多くの人に聴いてもらえないから。

 

届かなかった。勿論1ミリも届いてないと思ってるわけじゃない。だけど、僕の気持ちが報われるほど、これでいいと思えるほど深く届きはしなかった。」

まさに元貴さんがファンクラブブログで書いていた“この作品が世に届かなかったら、よっぽど世の中が終わってる か、僕の才能が無い"という言葉にそういう思いが表れてると思った。

具体的にこの曲に綴られている言葉について考えていきたい。

 

まず、この人は自分の気持ちを乗せた音楽を生み出して世に届けることが「我儘」だと思っているのだ。言ってしまえばある種の自虐。でも私はこの人の我儘に数え切れないほど救われてきた。これからもずっと我儘を歌っていてほしいし、終わる時まで聴き続けたいと思う。本当は終わって欲しくなんてないけどね。でもそれこそこちら側の「我儘」だ。

どうにか届くように、と歌詞を綴る。だけどやっぱり、自分の想い100%は届かない。無理だなぁ、諦めた。それでも、この世は自分も含めて弱い人ばっかりで救いを求めてる人が沢山いる、せめてそんなことだけでも時代の、世の中のどこかに響けばいいな。やっぱり届かないって思ってたんだなぁ。口にはしてこなかったけど、前述したSimPleなんかにもそういった気持ちは表れていた。3年半以上前から。ただ、これほどハッキリと言ってしまったことは一度もなかったと思う。どれだけの葛藤に苛まれて生きてきたのだろうか。私なんかには想像すらできない。言わせてしまったのだ。形容し難い胸の詰まりを抱いた人が多いんじゃなかろうか。

僕が聴き手に届けたい人間への愛を今回もまたひとつと探しながら、その力を「阿呆みたいに」信じる。それが僕の音楽に対する姿勢なのだ。ここも自虐。誰が阿呆みたいになんか思うものか。でも届いてないと感じてる元貴さんからしたら確かに「阿呆みたい」なのかもしれない。そのキャッチーなメロディに隠れるはそう、偶像。この偶像は、元貴さんにとっての偶像なんじゃないかな。自分の信じてやまない考え方。でもきっとそれは、少なくとも私達にとっては絶対に間違っていない。

こんなノイズまみれの世の中でもどうにか眠れる様にと、目を瞑る。目を瞑った光景に浮かぶのは、白馬に跨る僕。似合わぬ僕。でも満悦。人の前に立って作品を届けるには、美しい白馬に跨るが如く、心を武装しなくてはやっていられない。こんな歌詞を綴る僕に似合わないのはわかっているけど、パッケージをポピュラーにしないと生のエンターテインメントとしては成立しない。しかもやってる自分も楽しい方がいいに決まっている。だからこれでいいのだ。そう思う自分もいるということなのだろうか。元貴さんは昔の曲を披露する時は寿命が縮んでしまうから心を武装し切ってからじゃないと披露できない、といった旨のことを以前言っていた。そんな気持ちがあふれた言葉に感じた。

この世は腐ってなんかは居ない。そんなことだけでも、今度は自分が報われたような気持ちになる。元貴さんは自分が安心する言葉を歌詞に書くようにしているとよく言っているけど、ここもそういう気持ちが強い部分だな、ととても思う。みんなに向けて僕は歌ってるんだけれど、誰よりも自分に向けて歌ってるんだよ、そう思わずに居られない。全然それでいいし、私達はそういう曲に救われている。

あなたはアーティスト中毒。

これはこの曲の中で唯一の皮肉だと思う。私達は好きなアーティストに対して盲目になってしまうことがある。「他のアーティストだったら微妙だったけど、そのアーティストが出してるからその曲、作品は好き」。音楽を平等に評価できなくなってしまったり。1人の人間として音楽を愛している元貴さんは多分、それを望んでない。当たり前だけどフラットに聴いてほしい。表面だけをさらってほしくない。深く、聴いて欲しい。そこは履き違えないでほしい。そういう想いを感じた。そして、私が産み落とした子達、今まで世に放ってきた全部の曲達が私の心臓。自分が信じた音楽の力と言霊の力、それを文字通り魂を入れて送り出した大事な大事な我が子。私達は受け取れているだろうか。少なくとも自ら手を伸ばしてこのアルバムを手にした人には突き刺さっているよ。

いずれ夢から覚めて魔法は解け、残酷な現実と向き合わなければいけない。こんな世の中でも、人を愛していきたい、永遠などない人の世で、せめて愛し愛されて死にたい。そうじゃなきゃこんな世の中生きていけない。この世は辛いんだから。私にはそう聞こえた。

エゴイズム。自分のことだけ考えて生きていく。このご時世、そんな奴も沢山いる。増えてきた。パシフィズム。平和主義。リベラリズム自由主義。平和に生きたいし、この世界は自由でもとは平等なはずなんだ。でも、ペシミズム。厭世主義。この世は正直に言ってしまえば悪、憎悪、悲惨に満ちた最悪の世界。これは揺るがないし、これからもきっとそうだろう。

ヒューマニズム。(多分ここでは人本主義ではなくて)人道主義。それでも人間は人間らしい方がいい。僕は醜いところも含めて人間という生き物が捨て切れないし、愛おしい。やはり人間のことを愛したい。

よそ行きの顔して隠れてるだけで、この世は弱い人ばっか居ます。わかって欲しい。やるせないけど、この世は腐ってなんかは居ない。そう思いたい。そう思わないと僕達生きていけないじゃん。少なくとも僕はずっとそう歌いたい。我儘が終わるまで。

そして、そうやって書き綴られた歌は私のそう、遺言。元貴さんはよく「全部が僕の遺作です。」と言って私達に曲を"手向けて"くれていた。それを歌詞にすることはなかったけど。でもとうとう、こうして曲の最後にハッキリと言葉にしたのだ。これは別に比喩表現ではない。本当に元貴さんにとっては「遺言」なのだと思う。真の意味でこの言葉を使っていると思う。これまでもこの曲も、自分が聴き手に、世に届けたいことは投げ続けてきたつもりだからもういつ死んでも悔いはない。もっと言えば人なんていつ死ぬかわからない。そんな中で後悔、出し惜しみなどしている暇はない。1秒後に死んでもいいくらいには僕は音楽と向き合っている。勿論できることならまだ死にたくはないと思うけど。誰だってそうだから。でもそういう意味だと私は思っている。こんな風に音楽を書いてる音楽家他に知ってる?私は知らない。

 

作り手として、これだけハッキリと思いの丈を真っ直ぐに言葉にしたのには前述したような理由があるんじゃないかと私は思っている。これは私の勘だし妄想だけど、恐らくこんな曲書くの最後で、もう二度と生まれないと思うし、まあでもここまで言ってしまっているのだから当たり前かもしれない、もっと言えばこの先元貴さんは曲を書くということが今までと同じ感覚でできるのかなという思いもある。だって手のひらを見せてしまったようなものだと思うのです。でもだからこそこの、世間にMrs. GREEN APPLEという名前が知れ渡ろうとしているタイミングでこの曲を書いたのだと思う。言うまでもないと思うけどね。そこまでするのか。あぁ本当にMrs. GREEN APPLEがここで一区切りつくんだなと実感している。とにかく、信じ続けたい。

 

と、いつも通り楽曲分析のつもりが、今回は結局歌詞についてだけになってしまった。言葉の持つ力が大きすぎた。でもこのAttitudeという曲、音楽的にもとても言及したい部分が多いのでそれは次回で。

もう一度同じことを言うことになってしまうけど、この曲は、「僕はこういう人間です」というのを今までで1番さらけだした曲だと思う。でもそれは本当に辛い作業なんだって元貴さんはTWELVEの時期かな?に言っていた。し、ENSEMBLE TOURのMCでも口にしていたような気がする。Mrs. GREEN APPLEの曲には他にも本質的にはそういう曲が沢山ある。ここ最近は表立って見えてはいなかったけれど。

それと、元貴さんは「100は無理」と言ってこれだけでも届けばいい、と歌ってるんだけれど、私はこういう曲には毎回100を詰め込めてくれていたと思っている。恐らく祈りにも近い気持ちで。もしかしたら届くんじゃないのかな?と思い続けて曲を出し続けてくれてたんじゃないのかな。その気持ちも全部私は嬉しいし、でも届いていると思わせることができなかった私達が悪い部分もあると思う。もっと深いところで音楽を享受する必要がある。Mrs. GREEN APPLEの本質が、自分も含めてせめてライブを観に来た人には伝わってほしいなぁ。と勝手ながら思う。

 

大袈裟に聞こえたなら笑ってもらって一向に構わない。私は、大森元貴という人間は、この世界の"本当の意味での本質"に気付いている、この世の中の数少ない人間のうちの1人だと思う。人の何倍も人が見えている。世の中の動き、形を持たない思想、集団が醸し出す雰囲気。思考を放棄した人間が増えた。実感がないから、人を想う心が麻痺する人間が増えた。だから"バカ"な人間が増えた。そしたらそれに乗っかるバカなふりをして面白がる人間まで現れた。そいつらは本当にバカになっていった。可哀想に。それでも、そんな世界に対して誰よりも大きな愛を抱いている、そう曲達から感じる。勿論いろんな言葉の使い方はあるけどね。そして彼が偶然にも音楽の力を、可能性を介して私達に「音楽」という形で、人生を賭けて自分の想いを届けてくれようとしていると思う。だから音楽をやってる動機も、ともすると他のミュージシャンと大きく異なるんじゃないかなとも思う。恐らく元貴さんは、深く深く人間と向き合おうとするが故に、人間の持つ矛盾と誰よりも闘っている。元貴さんにしてみれば、そうやって本質と深く向き合うのは下手すりゃそれは結構辛く生きていくことなのだ。見たくもない、聞きたくもない、知りたくもない事実が沢山あるこの世と向き合うことはあの人にとって必要だけどとんでもなく辛いはずだ。でも元貴さんはそれをやめない。私は、こんなにも音楽に敬意を表して、音楽の持つ可能性を心の底から信じ切って音楽に全てを捧げる人を、音楽人をこの人以外に知らない。こんな奇跡みたいなことが今、自分が生きている時代に起こっている。

どうか、私にとって誰よりも偉大な音楽家であり、そして人間である大森元貴という人が報われますように。それとツアーやらメディア露出やらあると思うけれども、どこかでゆっくり休んでください。しばらく無理して曲作らなくていいです。このアルバムの存在意義をじっくり考えます。

 

疲れた。果たして言いたいことを全部書けたのか不安ではある。が、とりあえず今回はここまでにします。長くなりすぎたのでね。アルバムの他の曲の続きは次回以降でやっていきます。とにかく、この曲が世の人、世の中の誰か1人でもに、誤解されることなく、深く届きますように。次の記事すぐ出します!必ず!そんじゃ。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。

 

Be yourself

どうも。1ヶ月以上更新が空いてしまった。夏休み楽しすぎてこうなっちゃった。もう夏休み終わるひえ〜〜早すぎる。みんな夏休みどう過ごしたんやろ楽しかったんかな。社会人の人はどうぞ働いてください。アーメン。

 

んなことはどうでもよくてですね、先日9/19に"欅坂46夏の全国ツアー2019 in Tokyo Dome"を観てきた。私個人としては今回の夏のツアーは仙台大阪と二箇所飛び回ってきたわけだけど、ツアーとはまた違う演出でとても特別感があった。まあそりゃ悲願のドームだもん。特別じゃなきゃ。ツアーとは違うだろうな〜とか自分なりに色々想像して行ったのだけど、そんなの全部無にされちゃうくらいブッ飛んでた。てなわけで、今回はドーム公演のことだけ自分の気持ちを書きたいと思う!ほんとに何から言えばいいか分からないけど思ったことから順番に書き留めていく!そのくらい感情をぐちゃぐちゃにされた!気持ちが追いつかなかった!いくぞ。

今回のツアーで「END」の文字が出るときに使われていたSEが終わってついに始まったと思ったらエキセントリックの衣装を着た平手友梨奈ちゃんがステージ右端にいた。あれovertureは?エキセントリックから始まるの?何が始まるの?またこの子達は驚かせてくるの?と思ってたら、踊りながら中央のピアノに近づいたてちがピアノで1音、その刹那に始まったoverture。覚悟してはいたけど、5万人の東京ドームで響く史上最強のoverture。震えた。あぁ遂にこの子達が夢見続けた舞台での一度きりの初ライブが始まったんだ〜〜となって涙出てきた。のっけから涙出るライブなんてそうない。序盤のMCでしーちゃんも「21人で始まってここまで来れて…」って言ってすぐ泣き始めるからまた泣いてしまう。嬉しいねぇ。色々あったけど辿り着いたねぇ。好きだ(1回目)。MCで話してる皆を見ながらけやかけでゆっかーと軍曹が腹割って話してた回とかセゾンのPRで聞き手がいることのありがたみをメンバーが話してた回とか思い出してグッときたなぁ。好きだ(2回目)。

そして私が一番嬉しかった瞬間が、一番愛してる、世界には愛しかないのイントロが聞こえた瞬間。その前に蝉の鳴き声が聞こえたり、夏を感じさせる演出があってえこれはもうそういうことだよねわかってるけどそうだよね、でいざイントロのピアノが鳴った瞬間ぶわぁって涙出てきた。この曲と実に1年ぶりの再会。好きだ(3回目)。この曲に何回ハッとさせられたか、優しさを思い出させてもらったか、ひたむきな思いを捨てないことを教わったかわからないのです。サビ最後のフリもほんとに大好きなんだ。指先を希望に満ちた表情で見つめるところが大好き。ほんとに歌詞とリンクしてるな、TAKAHIRO先生すごいな、って改めて思う。誰に反対されても心の向きは変えられない!その通りだ、誰に何を言われても自分の気持ちに正直に生きていく。その「意思」がみんなの目、表情、指先から感じるんだこの曲は。終始涙が止まらなくて全体の構成とかがあまり見れなかったことが多少心残りではある。メンバーの表情だけはなんとかとらえた。なんであんな素敵な顔できるのよ。MV再現してたりほんとに嬉しかったなぁ。

でもって、青空が違うで青マリのみんなが空飛んでた。好きだ(4回目)。可愛かったなぁ。

そして次も1年ぶりの、聞きたくて仕方なかった制服と太陽。前にも記事に書いたけど、この曲もほんとに自分を何度も救ってくれた心の薬みたいな曲なんです。なんといってもメンバーみんなの表情。どの曲でもそうだけど、あの子達は表情が本当に素敵。見てるだけで涙が出てくる。この曲のときのしーちゃんの穏やかでやさしい笑顔が忘れられない。制服と太陽は最後にみんなそれぞれで決めポーズするんだけど、今回はほぼみんなダブルピースだった。齋藤さまと佐藤さまはご結婚なさっていました。真ん中にいた赤ちゃんは真顔でした。好きだ(5回目)。もうこの辺でそろそろ涙が枯れるような気がしてたけど、止まらない止まらない。ずっと泣いてるじゃんお前。モニターに素敵な表情したメンバーが映るたびに涙が出てたような気がする。

セゾンも何回見ても毎回違うんだよね。ライブ行ってきた中で1番セゾンがやってる回数多いなそういえば。お互い顔見合わせてニコニコしてたり、お客さんの方見て嬉しそうにしてたり、あぁこの瞬間が好きなんだと思いながらいつも見てる。最後の、欅の木のフォーメーションでみんながサッサッサッて木に手を伸ばすフリが一番好き。あの連携に今までの絆をとっても感じる。好きだ(6回目)。

キミガイナイのみんなの表情もほんとに胸に刺さる。あんな切ない顔で何を胸に踊ってるんだろう。卒業したメンバーのこと考えてるのかなとかよく考える。ゆっかーはよくこの曲で瞳をうるうるにさせてる。何か思い出すものがあるんだろうな。こいつさっきから表情ばっかうるさいなと思われそうだけど、ほんとにそうなんですよ、見たらわかる。見ないとわからない。こんなに素敵な表情で、目で、全身で、観ている人に曲が持つ思いを届けようとしてる人は知りうる限りではいないんだよ。私はこの曲ねるちゃんが一番好きな曲だったなぁとかも思いながら見てたりもした。あといつも思うけどセゾン終わった瞬間にぺーちゃん担がれるの早すぎ。

でもう森。モニター全部が木になってて、会場全体見渡したら当たり前だけど全部緑で、いつもより大きな緑の面が広がっててうわぁ本当に森みたいだ、ってなった。森田ひかるちゃんの2番のときの表情が凄すぎてめちゃくちゃ鳥肌立ったのをよく覚えてる。「自分はどこにいる?」のてちの表情もゾワゾワした。この曲ラスサビだけダンスがめちゃくちゃ激しくなるんだよね。爆発、といえばいいのかな語彙力がないのでわからないけどそれまで押し殺してた完全無表情から切り替わるこの感じに毎回圧倒される。

この後にあったユニット曲の結局、じゃあねしか言えないもとっても印象に残ってる。このユニットのメンバーは声が綺麗な子が多くて本当に曲聴くのが好き。特に虹花。しーちゃんが涙目でパフォーマンスしてたのを覚えてる。だにのこと思ってるのかな〜〜と思った。最後に土生ちゃんが両手で「ナナ」ポーズして、あの子達の愛を感じた。ふーちゃんも遅れてしてた。好きだ(7回目)。

そんでもってサイマジョも1年ぶりの再会。やっぱこれなんだよね。素人の目なのでどうかわからないけど、この曲のみんなの揃い具合、他の曲の比じゃないと思うんだ。サビ前の円になってぐるぐる回るとことか特に。感情があぁ〜〜ってなる(語彙力不足)。落ちサビのとこでてちがマイクを口に近づけて力強い声で歌ってたの、この曲に対する並々ならぬ想いを感じた。大事なんだなぁってなった。全部大事だけど。この辺でも涙がぽろぽろ出てきてもうよくわからなかった。

んでいつも通りのブチ上がりゾーンが来ましたよと!もう感情が追いつかないわけですよね。泣かされたり上げられたり。欅ちゃんに相当鍛えられたつもりだったけどまだまだでした。アンビバレントと風に吹かれてもほど聞こえた瞬間にアガるイントロなんか私の中ではそうない。アンビバと風吹かのときのてちのニヤリ、しっっかりと捉えました。好きだ(8回目)。ライブ中にあの子のあんな顔そうそう見られないからさすがにガッツポーズを心の中でやった。ここからメンバーの煽りがだんだん激しくなってきてこっちもブチ上げ。風吹かのラスサビでの紙吹雪は脳内補完しました。こんなに楽しい曲ないべ。

そこから間髪入れずに始まる計画ぅぅぅ!!!ここがブチ上がりピークだったな。もうね、メンバーの煽りが今回のツアーでどうやら回を追うごとに進化していったらしいんだけど、いやもう激しめのバンドかな?って感じの煽り。まつりな虹花かりんちゃん、そしてなんといってもゆいぽん。この人まじで煽り性能どこまであるの?どこかの公演では「虹花よりバカになれェ!」とか言ってたらしくて爆笑した。好きだ(9回目)。そっから始まる危なっかしい計画。もうこの曲も大好きなんだ。特にライブで聴くのは大好きなんだ。もちろん全部好きだけど。ライブで聴くとCD音源と全然違うのよね。音圧も音像も会場のスケールに見合うロックな音になってる。最強。でもなぜかこの曲涙出ちゃう。この気持ちわからないかな私だけではないと思うんだよ!(お前いつまで泣いてるんよ)  みんなありえないくらい楽しそうな顔してるの。幸せそうな顔してるの。お互いに目見合わせて。でしーちゃん見てみたらまた泣きそうな顔してるし。みんなの幸せそうな笑顔が見れるだけでほんとに幸せ。この曲があってよかったと心の底から毎回思う。いつもおかわりくださいとなる。ライブで2回はやろうよ。こんなに楽しい曲ないよ。

で、計画で終わりかと思ったらまさかの太陽は見上げる人を選ばない。お初にお目にかかった。イントロ聞こえた瞬間に耳を疑った。まーた涙ぶわぁ。サビ聞いてるだけで泣きそうになる曲。真っ暗な長い夜が訪れたとしたって寂しさをそっと埋めるのは迷いのない生き方だけ。私はこの曲は欅ちゃんのこと歌ってるんじゃないかなって思ってる。もちろん例えの表現で言葉が違うとか出てくるけど。誰かに何かを言われてここから動きたくなんかない、この場所が好きだから今僕は自分の足で立ってるんだ、間違いなくあの子達の気持ちそのものだと思うのです。歌詞書いたのは秋元康だけど。だって目をうるうるさせながらこの曲パフォーマンスしてるんだもんみんな。自分に向けてる節があると思うの。土生ちゃんは堪えきれずにわぁって泣いてた。何かが胸に来たんだろうなぁ。かけ声をお客さんに預けて大合唱を聞くみんなの顔忘れられない。そうだよ、5万人の大合唱を浴びてたんだよあの子達。もう結構なメンバーが泣きそうな顔してた。保乃ちゃんは目が真っ赤で口元が歪んでた。そりゃ胸がいっぱいだよな、こんな壮観の景色見て、本編最後にファンの大合唱聞いて。ゆっかーももう万感の想い、という表情だった。あなたがキャプテンでほんとによかった。いつも欅のことばっかり考えてるってねるちゃんが言ってたね。ありがとう。もう胸がいっぱいで涙枯れかけで本編終わって一息ついたと思ったら、ここでも感情が追いつかないことが起きた。前日の情報で知ってはいたけど、遂に不協和音を生で喰らってしまった。何の前触れもなくいきなり始まった不協和音。会場が多分人生で聞いた中で一番の怒号に包まれた気がする。爆発音相当ビックリした。曲中ずっとなんだこれは、という感じだった。衝撃すぎて本当にほとんど記憶がない。ただメンバーの殺気に満ちた表情はしっかり目に焼き付けた。確かふーちゃんだったかな、ものすごい目つきで気迫で、見てるこっちが後ずさりしちゃうような勢い。そんでもって覚悟してはいたけど、「僕は嫌だ」を喰らった。なんというか、初期衝動とは違うような、大人になりたくない、というかなんて言えばいいかわからないけど、不協和音の「僕」がそこにいた。確かにいた。もう一つ印象に残ってるのが、2番の「僕は嫌だ」を担当してた保乃ちゃん。これは私の勝手な想像なので軽く流してもらって構わないのだけど、ここを保乃ちゃんが担当することはTAKAHIRO先生が決めたんだと思うのだけども、TAKAHIRO先生はメンバーのことを本当によく知ってるから、保乃ちゃんがねるちゃんのことを大好きなことを知ってて選んだんじゃないのかなって思った。他にもエキセントリックのねるちゃんのパートとかはあるんだけど、不協和音のここだけは保乃ちゃんって決めてたんじゃないのかな。ねるちゃん自身もこの部分を自分の中で変えて、進化させ続けてきていて、そこを任せるのはねるちゃんへの気持ちがおそらくメンバーの中で一番強いであろう保乃ちゃんしかいなかったんじゃないかな。多分保乃ちゃんも、できることであれば、この「僕は嫌だ」だけは誰にも譲りたくないっていう気持ちがもしかしたらあったかもしれない。自分なんて恐れ多いっていう気持ちももちろんあるだろうけど、やらせてもらえるなら誰にも譲りたくないって気持ちがやっぱり一番強くあったんじゃなかろうか。ねるちゃん見てただろうか。あの目と叫びを忘れることはない。いやほんとにお疲れ様だよ。

で、あるとは思ってたWアンコール。何が来るのかな、この雰囲気なら黒い羊でドームを締めるのかな、ここで雰囲気変えて最後はW-KEYAKIZAKAの詩でみんなでドームの景色を見納めて終わるのかな、もう感情が振り回されまくってわけわからんぐちゃぐちゃだった私の頭にはこの2つしかなかった。どっちかなどっちかなとずっと頭ぐるぐる。するとセンターステージに女の子おそらく平手友梨奈。ん何まじで何まだ驚かせてくるの?新曲?わからんわからんわからん。新しい衣装着てる。新曲なの?

 

角を曲がる。モニターに出たタイトル見て流石に目を疑った。コンタクトもちゃんとしてきたし涙で滲んではいるけど文字ははっきり見える。ほんとにか?ほんとに角を曲がるなのか?響を観て以来、1年ぶりにこのイントロを聴いた。会場から聞いたことのない悲鳴が聞こえた。体が覚えていたのかもしれない、聴いた瞬間に涙が溢れてきた。センターステージにいたのは鮎喰響じゃなくて、まぎれもなく18歳の高校生、平手友梨奈だった。メンバーはあの姿をステージ裏から見てたんじゃないかな。4年以上という長い時間を一緒に生きてきた、戦ってきた中学生だった末っ子が、一番矢面に立ってきた末っ子が、一番メディアに勝手に印象を作られてきた末っ子が、一番外野にいろいろ言われてきた末っ子が、メンバー全員が数えきれない尊敬と愛を注いできた末っ子が、結成してから今までのメンバー全員の悲願の場所東京ドームの最後の最後、5万人という大勢に向かってたった1人で、テレビや動画、ネット記事なんかのメディアを何一つ通さず、正真正銘、直接、自分という人間を表現した、訴え続けた。そんな姿見たら、ねぇ。

これは私の勝手な解釈だけど、角を曲がるは、自分自身の表現だったと思うんだ。鮎喰響じゃなく、平手友梨奈として角を曲がるを届けたと思うんだ。最後に流した涙は、今まで伝え続けてきた主人公の「僕」ではなく、自分という人間を、初めて届けることができて自然と涙が出てきたんだと思うんだ。メディアが勝手に作り上げた自分という人間の偶像、正直世間から誤解されてるところがかなりあると思う。当たり前だけど世の人は密着映像であの子達の素顔なんか見たことないだろうし。それでもあの子はそういうのはもう気にしなくなった、と一昨年の夏くらいに言ってたのかな。でもやっぱり本当の自分は、絶対的エースやら何やら勝手にイメージ付けられて言われて期待されてるようなものじゃなくて、そうじゃないこうなんだ、私はただ作品をあなたに届けて勇気を与えたいんだ、明日を生きる力に変えて欲しいんだ、そう訴えていたように見えた。何で泣いてんだろう。これ私だけかもしれないけど、歌詞を書いたのは秋元康なんだけど言葉のひとつひとつが平手友梨奈という人の本心であるように思えてならない。じゃなきゃパフォーマンスが終わる頃に、自分と向き合っているときに涙出ないと思うんだよ。きっと直接見た人には届いたんじゃないかな。私は自分が受け止められる分は少ないながら全部受け止めたつもり。一瞬で変わる表情、全身で訴えるパフォーマンス。終わった後も涙止まらなかった。頭の中に何回もフラッシュバックしてその度に涙が出た。

 

今回の東京ドーム公演のテーマは「Be Yourself」。あなたらしく、自分らしくあれ。そんなテーマを掲げた公演の最後の最後で、そう伝え続けてきた子が「らしさって一体何?」って訴えてきたのだ。君は君らしく生きていく自由がある、じゃあそのらしさって一体何なの?君らしくって何?他とは違う個性を持ってることなのか?人より少し変わってることなのか?そんなことを意識しなきゃいけない世の中なのがおかしいのか?   私なんかがいくら考えても答えは出るわけない。続きはこれからの欅坂46が教えてくれるのかな。きっとそうだ。

今、選抜制が導入されて、第2章が始まろうとしている欅坂46。正直こんな制度反対。この選択に賛成してるファンはいるのかな?いない気がする。26人全員で作品を伝えることができるじゃんそんなライブだったじゃん。何のためにこんなことやってるのか。ぶっちゃけ理解はできない。あの子達はメンバーと競争してるわけじゃない。別にたるんでるわけでも気を抜いてるわけでもない。そんなことはメンバー本人とTAKAHIRO先生が一番よく分かっているし見てきてるはずだと思う。選抜制なんかなくたってお互いに尊敬しあって高め合ってきたと思ってる。おぜなんかが特によくそうやって言ってた。でもあの子達は、誰も「選ばれたい」とか「外されたくない」とかそんな風には思ってなかった。自分が欅坂46のためにできることをやってただひたすらに自分たちの作品の想いを届ける、これだけは変わらない、絶対に変えない。ふーちゃんはそう言ってた。ほんとによかった。私が好きなのはそういう欅坂46だったから。何よりも忘れてはいけないのは、彼女達は文字通り青春の全てを欅坂46に捧げているということ。普通の生活を選ぶことだってできたけど、作品の想いを伝えるという選択肢を選び続けてくれているということ。それに誇りを持って活動しているということ。だからこそ、ゆっかーもラジオで言ってたみたいにいつの日かまた全員選抜にシフトできる日が来ればいいなと思う。早いけど。

欅坂46欅坂46だ。欅坂46が作品を想いを伝えることを続ける限り、ずっとずっと応援させてほしい。世の中頭抱えること、これからどうすればいいのかわからない問題、山のようにあるけれど、それでもこの同じ時代をこうして生きていられることがどんなことよりも誇りなのです。あなた達に出逢って、ライブを生で観て、初めて抱くことができた形容し難い感情が、たくさんあるのです。

これから彼女達がどこに向かうのか私には全くわからない。だけどそれが楽しみでもある。多分あの子達ももう少ししたらすっかり前を向いて、また次の目標に向けて走り出すだろう。傷つきくじけながら歩き方を覚えてきたみんなだから、また何か壁に阻まれても絶対に乗り超える。そしてまた東京ドームに連れてきてほしい。2019/9/19、多分、いや絶対、老いてしまっても一生忘れない日。メンバー、携わってくれたチーム欅坂46、本当にありがとう。言い過ぎでもなんでもなく、本当に明日を生きる活力です。

 

しぬほど長くなってしまって誠に申し訳ないでございます。読んでくれた人ありがとう。眠いわ。おやすみなさい。そんじゃまた今度。次こそ早く更新します。多分。

 

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W-KEYAKIZAKAの詩

W-KEYAKIZAKAの詩

 

時間の不可逆性を忘れたい瞬間がある

こんにちは(こんばんは)。梅雨と呼べるほどの連続的な雨ぜんぜんこなくてわろた。暑すぎ。地球さんいいのか作物が育たんぞ。どうも僕です。

さてさて、また更新が空いてしまった。が、先日6/28に横浜横須賀芸術劇場にて行われたMrs. GREEN APPLEのホールツアー「The ROOM TOUR」初日公演を見て参りました。実に半年ぶりのミセスのライブ、特に元貴さんに関してはSNSをやめてからというものガッツリ僕らの前に姿を表すことはなかったので(たまに公式アカウントを通じて顔出してたけど)存在してるか不安だった(?)のだけど、元貴さんいました。よかったぁ。顔にも生気があってよかったぁ。

今回の記事ではそのことについて書こうと思うのだけれど、今回のツアー、SNSでのネタバレが厳禁だということで、本人達も何度も念押ししていたのでこの記事でも勿論ネタバレは一切いたしません。ご安心ください。それでもなんか雰囲気わかっちゃうような気がして嫌だって人はブラウザバックするとよいでしょう。

 

てなわけで、今回のツアーが今までのツアーと決定的に違うところはアルバムなりシングルなりを何も提げずにツアーを敢行するという点。なんで、皆さんいろいろ予想していくと思うんですけどそれも意味ないです。元貴さんは僕らの想像の範疇にいない。てことで、全曲の歌詞を読み直すくらいしておきましょう。

 

終わった直後の感想。この人はどれほど音楽を愛しているのか、音楽の可能性を押し拡げようとしているのか、途方もないものを感じました。そんでもってこの人の歌心はやっぱり他のアーティストと全然違うなと思いました(あくまで僕は)。他の誰よりも曲を書いた自分自身が1番歌詞を曲を噛み締めて、胸に突き刺して歌っている。あと、タイトルにしたように時間という概念を一時的に忘却するくらい、「あ今中盤だな」とか「もうすぐ終わるな」とか思わなかったくらい、ミセスに包まれてたんだなと終わってから思った。これは割といつものことなのかもしれないけどね。でもやっぱり思っちゃうときがあるよね。もうすぐ終わるやだな〜みたいな。

とまあそんなことを思ったのだけど、これが次の4th AL『Attitude』に繋がってるのかなと個人的には感じました。この『Attitude』という言葉をタイトルに選んだ意味。自らが生涯を賭けて、自分にはこれしかないんだ(活動当初から元貴さんが言ってきた)と懸命に、救いようのない世の中で苦しむ誰かを救うために命を削り続けて向き合っている音楽に対する『Attitude』をこのアルバムで表現する、それを改めて、真っ直ぐに聴き手に届けたい。そういう決意というか、これが僕らの向き合い方だという断固たる意思表示というか、そういう風に感じました。

あとアリーナツアー発表…来ちゃったねぇ。幕張メッセでワンマン2Daysを成功させた彼らだから不思議は無いのだけれど、やっぱり感慨深いものがあるよね。ゼンジン未到とプロテストでの言葉とか(ジャンプする前にライブハウスツアーで地に足をつけたい、とか)、こういう形で拾ってくれる。バンド自体は本当に他に類を見ないくらい爆速で進んでいくけど、彼らにとっては「やっと」アリーナツアーかといったところだと思う。Mrs. GREEN APPLEが歩み続けるゼンジン未到の奇跡の軌跡、まだまだ続く。追い続けていく。

 

ネタバレできないから何を言ってるかわからねえよって感じだけどまあそれも一興(は?)。てなわけで、また今度。次こそもっと短いスパンで更新していきたい。そんじゃ。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。

May-Recommend!

どうもこんにちは、僕です。前回更新から1ヶ月も空いちゃいました。サボりすぎ。春が終わっちゃった〜。梅雨入りしましたね。梅雨は、というか雨の日はそれはそれで趣があって割と好きな方ではある。雨を家の中から眺めるのは好き(出ねえのかよ)。洗濯物が干せないのだけが最悪です。

さて、今日はタイトル通り5月に聴いてよかったなーと思った曲を紹介しようと思っております。もう6月も半ばでお前時間感覚バグってんじゃねえのってそれその通りだから言っちゃダメやで。別に新譜に限りません。読んだ人とちょっとでも良い音楽を共有できたらいいなと思います。そんじゃレッツゴー。

 

メロンソーダ-Radio Darlings

良い曲じゃ…最近この曲ばっか聴いてる気がする。アレンジ自体は春の曲としてやってると思うけどオールシーズン聴ける曲なんだな〜これが。まーじで素敵。上白石萌歌ちゃんの歌声がスーパー素敵。無垢。たわいもない事はいつかのとてつもない幸せの積み重ね〜。つまずいて転んでも桜は綺麗だよ〜。

 

Pretender-Official髭男dism

大名曲が飛んできたぞ〜。ぶっ飛んだ。お得意の綺麗に意味を取った韻踏み。サビのコード進行とメロディがそう行くかって感じ。センスでやってたら凄い。恐らくジャズとかラテンポップとかその辺のジャンルを音楽的にとても研究してる(はず)。と思いたい。個人的にはアコースティックver.の方が好きです。

 

熱帯夜-SHISHAMO

最近夜がクソ暑かったからこれ聴いて寝てたな。涼しくなるぜ。

 

海の見える街-久石譲

海の見える街

海の見える街

別に魔女の宅急便を観たからハマったわけではなく、天気いい日が多かったから聴いてたのかもしれん。そもそもオーケストラ聴くの楽しいよ。久石譲はいいぞ。

 

TOKYO-椎名林檎

TOKYO

TOKYO

今思えばこの曲だけ浮いてたな。林檎様の最強ニューアルバムで新曲?なのかな?ベースエッチスギィ!こんな奇怪なメロディどうしたら出てくるんですかねぇ。

まばたき-Special Favorite Music

まばたき

まばたき

  • Special Favorite Music
  • J-Pop
  • ¥250

いつ見つけたか全然覚えてないアーティストなんだけど、全部の曲聴きやすくてとても心地よい。あんまり調べてないけど、なんか新曲1年以上出してないっぽくてかなしい。落ち着いてるけど、それでいて明るくて多幸感がある曲が聴きたい人にはとてもおすすめ。

 

22-LUCKY TAPES

22

22

  • LUCKY TAPES
  • ロック
  • ¥250

Nulbarichを日本人向けに聴きやすくした感じがする。とっても聴きやすいシティポップ。音像がとても海外の匂いがする。

 

Odyssey-ザ・なつやすみバンド

Odyssey

Odyssey

  • ザ・なつやすみバンド
  • J-Pop
  • ¥250

バンド名からしてコミックバンドやんと思ったそこのあなた、違います。めちゃめちゃ緻密な音楽してる。ほんとにみずみずしい、聴けば涼しくなる、たしかに田舎ののどかな夏休みをそのまま音楽にしたようなバンド。何はともあれこの曲が素敵なので聴いてみてね。

 

 

とまあそれなりに適当に紹介してみました。皆さんが5月に聴いた曲もよかったら教えてください。自分とは全然違う観点で人から勧められることで最高の出会いがあるかもです。次は何書こうかな。あ、山ちゃんが蒼井優と結婚しましたね。おめでとう〜こっちも幸せです。彼女ほしいです。そんじゃまた。それとみんな星野源オールナイトニッポン聴けよ。風邪引くなよ。

NetflixのGWの宣伝文句考えたの多分オードリー春日

ご無沙汰しております。僕です。春だねぇ。

最近大学の新歓やらが忙しくて、前回の更新から1ヶ月以上間が空いちゃいました。新入生は大学生活に慣れただろうか。履修ちゃんと組めただろうか。バイトは決まっただろうか。などと自分の1年前を思い出しながら新入生の心配をする今日この頃、まだ5月病にはかかっていません。去年の今頃何してたかな。サークルの新歓イベントに行ってた気がするな。友達とも深い付き合いになってくる頃だったような気がする。最近は公園でピクニックしました。意外と人たくさんいたよ。

 

さて、せっかくGWでゆっくりできる日があるんだし久しぶりに更新しようと思ったわけですが、何のお話をしましょう。とりあえず春なので、僕がよく聴くおすすめの春ソングでも紹介しようかなと思います。なにもう5月だから遅い?うるさい。1つでも気にいってもらえたらよいなぁ。

 

・春愁 - Mrs. GREEN APPLE

 

これ知ってる人たくさんいると思うけど、一応。僕が世界で一番好きな卒業ソング。歌詞ひとつひとつに青春が閉じ込められてる。友達なんか大嫌いだ、でも本当は大好きだ。喧嘩とかしても結局友達のこと好きなんだよなぁ。聴いたことない人ぜひ。暖かい気持ちになると思う。

 

・春の歌 - 藤原さくら

 

これはスピッツの春の歌って曲のカバーです。伴奏のアレンジももちろんそうだけど、藤原さくらの声で歌うと雰囲気一気に変わるのう。春の心地良い陽気を感じる。

 

・春になったら - miwa

春になったら

春になったら

  • miwa
  • J-Pop
  • ¥250

 

この曲も春を感じられると思います。CMで使われてたみたいだから聴いたことある人もいるかも。春になる前の曲だけど。中2のときにこの曲に出会って今でも春になったら聴いてるってなんか凄いな。受験を頑張る女の子の恋の歌って感じ。甘酸っぱいのう。

 

・ウララ - ビッケブランカ 

 

これは仲良しのお友達から教えてもらった曲。一瞬で好きになるので気をつけてください。この曲と出会って損はしないのでぜひ。天気の良い春の日に聴きたい。毎日聴いておる。お友達ありがとう。

 

・スプリングハズカム - 秦基博

https://itunes.apple.com/jp/album/%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%8F%E3%82%BA%E3%82%AB%E3%83%A0/1216711144?i=1216711768&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog

 

タイトル通り春が来たって感じの曲で、これまた春を感じられる。最高だよ。秦基博は季節で言えば春を感じる曲がとても多い気がする。鱗とかも春のイメージ。何はともあれぜひこの曲を聴いてみてね。 

 

・始まりの歌 - 緑黄色社会

 

一聴き惚れした曲。なーんだこの曲、となった。ボーカルの声、曲が持つ圧倒的な多幸感(特にサビのメロディ)、キーボードの音色、それらの絶妙なバランスでの調和がたまらないのである。朝が憂鬱な人、朝聴いてほしい。ハッピーになるんじゃなかろうか。(春ソングと言いながらオールシーズンで聴く筆者)

 

・日々是好日 - 藤巻亮太

 

藤巻亮太と言えば3月9日だけどこっちも春を感じられてよいのです。地に足つけて毎日頑張りましょう。的な。

 

・You&I - 雨のパレード

 

春がテーマの曲ではないと思うんだけど、このゆったりとしたテンポと優しいスネア、落ち着いた伴奏は春の夜にぴったりだなと個人的には思うのです。やさしいのう。

 

・春 - FLOWER FLOWER

春

  • FLOWER FLOWER
  • ロック
  • ¥250

 

聴いた人は気づいたかもしれないけど、そう、FLOWER FLOWERのボーカルはYUIなのです。今はyui表記らしいけど。いい声。天気の良い日に河川敷とかを散歩しながら聴きたい。

 

・春が終わる前に - Halo at 四畳半

 

意外と古いんだなこの曲。この人の声もいい声だなって思う人が多いんじゃないかな。ぜひ春の夕景を見ながら聴いてほしい。エモい。春が終わる前に聴いてね。

 

・Over You - SHE'S

 

はい春来た。室内で聴いてもなんか春風吹いてね?と錯覚してしまうくらいには春の陽気を感じられる曲。このバンド、他にも春を連想するような曲調の曲が沢山あるのです。Un-scienceとかWhiteとかグッド・ウェディングとか聴いただけで春行けるから。おそらくピアノとストリングスを多用してるからだと思う。最高だね。

 

 

とまあ足早に僕がこの時期になるとほぼ毎日聴いてる春ソングを紹介した。いかがだっただろうか。何か気に入った曲あったかな。あったらいいな。あったらリプでもなんでも教えてね。逆にこんな春ソングがあるぞってのも教えてほしい。

春って気温もちょうど良い(日が多い)し、桜は綺麗だし、春風は心地いいし、いい季節だよね。出会い別れ新生活、色々なことがある季節だけど、春がある国に生まれてよかったなと私は思ふ。

 

そういや健康診断で身長測ったけど1cmも伸びてなくてショックだった。視力検査は1/4のギャンブル。1.5になったのでパチンコでも始めようかな。今回はこの辺で(終わりかただろ)。次何について書くかは未定です。いつになるのやら。そんじゃまた。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。