シンギュラリティこわい

世に対する疑問、音楽の解釈、ふと思ったこと、積年の思考、すべて表現の自由の担保

Attitude (2)

どうも。前回言っていた通り、間髪入れずにこの記事書いております。共有したいことが山ほどあるのです。本当に素晴らしい、大切にすべきアルバムだと思うのです。今までもそうだけどね。

てなわけで、早速前回の続きといきます。何やってたかというと、アルバム2曲目Attitudeの歌詞について割と個人的な気持ち考えをつらつら書いておりました。今回はAttitudeの音楽的側面を紐解いていって、その後に他のアルバム曲についての考え、音楽的な分析を順番に書いていきたいと思っております。今回も行けるところまで。ではレッツゴー。

 

 

2.Attitude ~音楽的な側面~

さて本題。前回の記事でもちょこっと言ったけど、音楽的にもとても言いたいことが沢山ある曲なのだ。確かにこの曲の持つ言葉の力、私達に訴える力はとんでもない。胸を抉られるような感触を得る。だけど、これは元貴さんが書いた「音楽」であることを忘れてはいけない。言葉だけなら音楽である必要はない。「音楽」、それも人々の耳に、心に止まりやすい形の「音楽」であることに意味があるのだ。そうしないとより多くの人に自分の言葉に耳を傾けてもらえないから。だからこそ、この曲が音としても強い力を孕んでいるということを私達は少しでも認識しておくべきだと思う。

まあ私の戯言はこの辺にして具体的な話をしたい。まず、この曲はジャンルとしては「シンフォニックロック」でいいと思う。とは言っても私はこのジャンルの巨頭はイエス(海外のバンド)くらいしか知らない。故に日本ではあまり流行していないジャンルだと思う。元貴さんは何をインプットにしたのだろうか。とても気になる。あまりジャンル分けは重要ではないけど、本人達も様々なジャンルの音楽に挑戦してきたと口にしているし、いかにこのバンドの音楽性が多様であるかを示すために、一応。

ともあれ、一聴すればこの曲の大きなテーマとしてストリングスが印象的に用いられているのはわかると思う。しかも、そのストリングスの音色がとんでもなくいい音なのだ。私はまだアルバム現物が届いてないのでクレジットを見ることができないのでなんとも言えないのだけど、いい音なのだ。蔦谷好位置さんが恍惚の表情を浮かべるのが目に浮かぶほどに。多分これ流石に生音だよね?おそらくプロオケだと思う。(P.S. アルバム届いて確認した結果、プロの方が演奏されていました) より具体的な事を言うと「倍音成分」がとても多い。吹奏楽をやってた人なんかは言ってることがわかるんじゃなかろうか。特にラスサビで伸びやかにうねるフレーズをよく聞いて欲しい。ストリングス隊同士が共鳴して、より高音な成分が聞こえてきて、それがもっと全体を美しく聞かせていないだろうか。普通のと違いがわかんねえよおいって人もいると思うけどもしそうだったらあんまり気にしないでください。

前述したようにシンフォニックロックであることは間違いないのだけど、そこにこれまた当方絶妙なバランス感覚でサウンドアプローチしている。主にドラムかな。4つ打ちだったり2番Bメロのダブステップだったり最後の8分強拍であったり、まあミセスでは割といつものことではあるのだけれど半ばミクスチャーのようなセクションの組み方になっている。なんか当たり前みたいに書いてしまったがこれはミュージシャン誰しもができる芸当ではない。あれ同じような事を前にも書いた気がする。

そして、この曲をシンフォニックロックにしたのは、この形が1番歌詞が伝わると思ったからだと思う。この形が聴いている人に訴求する力が1番あると信じているからだと思う。正直私にはこの上なくシリアスなサウンドに聞こえた。理論的な話をすると、ノンダイアトニックコードの部分と歌詞の感情の抑揚が見事にリンクしていたりだとか本当にグッとくるし、多分この曲を聴いて涙を流してる人は言葉だけに心を動かされたわけではないと思うのだ。この形を纏わないといけない言葉だったと思うのだ。元貴さんはこの曲をもしライブでやるとして、どんな表情で歌うんだろうか。どんな顔で私達のほうを見るんだろうか。

 

前回の歌詞編で全部書ききったと思うと言ってたけど今ひとつ思い出した事を追記させてほしい。

音楽というのは作り手の想いがこれでもかと凝縮され、作り手がその全てを託す芸術作品であると同時に、現代において「商業」でもある。彼らは「ミュージシャン」という職業なのだ。働いているのだ。それでご飯を食べているのだ。なので、彼らのCDを販売するレコード会社、並びに販売店はCDを売らなければならない。当然、売る側は基本的には「売れること」を第一に考えている(あくまでディレクターなどの制作チームは恐らく本人達の意思を最大限尊重していると思うし、なんならコメンタリーなどの発言から考えると元貴さんが先導なのではなかろうか)。メディアも同じ。であれば、宣伝文句やメディア露出におけるパッケージのしかたは「売れる表現、一時的にでも目に止まる表現」を選ぶ。すると、それは作り手の本意から離れることがある。多々あると思う。元貴さんはそこと常に闘っていると思う。歌詞通り、自分の命に等しい大事な曲をどう扱われるかは音楽業界の構造上、自分で決めるのには制限がある。テレビなんかのメディアで、バンド自体を紹介される時もそうだ。恐らくある種視聴者への特徴付け、印象付けのために、誤解のあるパッケージのしかたをされることも正直あったと思う。私達ファンも本当の本質はそうじゃないのに、とか思ったことがあると思う。でもそれ以上に本人は、あの人の中には私達が想像できない葛藤があると思う。その苦悩は、今回のようなストレート過ぎる言葉であれば尚更強いのではなかろうか。(前回の内容とかぶるけど)ああいう歌詞を届けなきゃいけないところに元貴さんがいる、という事実もとても大きい。作家としての根源のようなものを出してしまった、出さなきゃいけなかった。今も苦しんでるんじゃないかな。そのことだけはどんな時も忘れてはいけないと思う。私が言うのはおかしな話かもしれないけどね。でも本当に大切なことだと思うんだ。この意識が薄れてはいけない気がする。

と以上前回の言い忘れでした。ひとまずAttitudeはここまで。本当に大切にしないといけない曲がまた増えた。とはいえこのアルバムはまだまだ始まったばかり。さて次に行こう。

 

3.インフェルノ

この曲はご存知先行配信曲3つのうちのひとつ。でもってアニメ『炎炎ノ消防隊』のOP。ここまでハッキリと歪んだ(ひずんだ)ロックに振り切ったのも久しぶりじゃないのかな。この曲に関しては、作家大森元貴だな、という印象をまず受けた。アニメからタイアップのオファーを受けてそれに応えた形だと思うのだけど、「業火」だとか「熄み(やみ)」だとか「炎(ほむら)」だとか、炎を連想する言葉がふんだんに使われている。でもってめちゃくちゃ韻を踏んでいる。なおかつ意味も整然としすぎているくらいに通っている。圧巻の一言。

そんな作家魂を感じる曲ではあるんだけど、やはり「永遠はない」。こういう今までの曲と同様のテーマも歌っている。ラスサビのフレーズなんかまさに元貴さんと音楽のことのように思えてならない。多くの人がそう感じたんじゃなかろうか。これまでの他のタイアップの曲もそういうところのバランスは本当に凄いと思った。

サウンド面に関しては前述したように、強くロックに振り切っている。そしてそれだけではない。Bメロがトラップビートになっていたり、サビでは低音のホーンセクションがボーカルに時折ユニゾンするようになっていたり、間奏のドラムにふつうはギターにかける歪みがかけられていたり(ボーカルにもゲインをかけている)、この曲が「重さ」を持つためのアプローチが多方面からなされていると思うのだ。

そして初めて聴いた時に1番私が面白いと思ったのは、イントロ・アウトロの二回し目から、ドラムだけが3拍子になるのだ。分かりづらい人は当該箇所からドラムをよく聞きながら1,2,3,1,2,3...と数えながらこの曲を聞くとわかりやすいと思う。私としては、その週の新譜は誰のどんなものでも聴ける範囲で全て聴くので普段から膨大な量の曲をインプットしてきたつもりだったけど、正直こんなギミックのある曲は聴いたことがなかったのでめちゃくちゃビックリした。勿論プログレとかだとこういった展開の曲はあるけどこういう使われ方はされていない。発想の妙。この3拍子がよりサウンドをヘビーに聴こえさせているのだ。ここにも音楽的な挑戦、遊び心を貫く。恐らく楽しくて、やりたくてやってるのには違いないのだけれど、底知れない。

 

4.CHEERS

次。この曲も先行配信された曲のうちのひとつ。元貴さん曰く「このアルバムの中で1番明るい曲」らしい。恐らくこれはアルバム初収録曲の中で、という意味だとは思うけど、これが1番彼の中では明るいらしいのだ。確かにサウンド面では半分その通りと言えばその通りで、半分こそっと違う。多分あえて言及してないだけだとは思う。何を言ってるかというと、これまたかなり詳しい話になってしまうのだけれど、この曲は基本的にはハウス・EDMをルーツに、生音のバンドサウンドとうまく融合させている。ベースになっているコード進行もこういったジャンルでは比較的よく使われるものなのだけれど、グッとくる、切なくなるような箇所がいくつかある。そこには「B7」というコードが使われている。いわゆるセブンスコード。コードについてよくわからない人はまあこのコードの響きは切ないくらいに思ってもらって大丈夫。で、このB7を使っている場所が肝心なのだ。勘のいい人は気づいたかもしれないけど、歌詞でも切なくなるような場所に用いられているのだ。具体的には、「偏った世"の定規"(ココ!)で測られる今日もとりあえずさ」の部分。他にもいくつかある。声のトーンともとてもマッチしている。凄くないですか?

それともう一つ。イントロ・アウトロに入ってる人(赤ちゃん?)の声のようなSE。見事に曲のアイデンティティとして自然に、なおかつ耳につく聴こえ方になっている。元貴さんは一体こういったSEとか珍しい音色をどこから探してきているんだろうか。頭の中で元から鳴ってたりしたらそれはもうとんでもないことだ。あり得そうだけど。P.S.最初の声のSEは元貴さんの声をサンプリングして加工したものらしい。ひぇ〜。

そして歌詞についても私の考えを書きたい。前述の如く、曲調自体は「基本的には」明るい類いである。ところが歌詞は底抜けに明るいというわけではない。むしろ寂しさややるせなさを感じる言葉の方が多いと思う。

偏った世の定規で測られる。色眼鏡で自分を見てくる人は沢山いる。でもこれは事実である。世の中、自分の評価を決めるのは自分じゃなくて他人なのだ。そのことは元貴さんはアンゼンパイでも歌っている。

正直自分の能力なんて

自分が一番わかっているつもりです

そのつもりでした。

誰かの評価で決まるんだよね。

この揺るがない、ある種残酷な事実を受け止めて生きていかなくてはいけない。自分と隠れん坊せずに、向き合って生きていかなくてはいけない。そんな今日だからとりあえずはみんなで乾杯しとこう、というのだ。だって、こんなシンパシー壊れてしまった世界で、「共感」という概念が形だけになって人の心に思いを馳せることがあまりできなくなってしまったやるせない世界で、笑ってないとやってらんないじゃん。だからこそ笑おうワッハッハ。幸せをすがるように求めたり、世の中と向き合うからこそ生まれる矛盾に悩まされたりするけれど、そんな人もとりあえず乾杯して笑おうワッハッハ。

世の中を辛くも生きていくために人々が口にする「愛してる」の声たちすらも、だんだんと活気がなくなってきた。やっていけないよ。厭世だなぁ。そんな中でも四つ葉のクローバー、一縷の希望が落っこちてたりするものなのかもしれない。だから、世の中しょうもないしはっきり言っておしまいだけど、とりあえず前向いてみよう。乾杯。

やっぱり基本的に世の中どうしようもなくなってきている、そんな中で前向いてかないと僕達生きていけないよね、ってことを歌ってるんじゃないかと、そんなふうに私には聞こえた。余談だが、「四つ葉のクローバー」が元貴さんにとってのメンバー4人だったとしたら、こんな素敵なことはあるだろうか。真偽の程は別にしてね。5人が出逢って本当に良かった。

 

5.Viking

さて次。この曲はかなりコンセプトが一貫しているように感じた。タイトルの意味としてはそのまま、中世の北欧で海上から大陸を侵略したと言われているバイキングで間違いはないだろう。イメージとしては近いのは海賊である(厳密には同じものを指してはいない)。また一説では、Vikingという言葉の語源に「航海」という意味もあったのではないかと言われている。この曲にも航海という言葉は出てくる。元貴さんがそこまで知っていて書いていたら恐ろしや。

でもってイントロには波の音が入っている。その海賊やら航海やらが関連しているからであろう。先ほど言ったこの曲がコンセプチュアルというのはこういうところ。スリリングなストリングスのリフの使い方もさながら荒れ狂う海上を進む海賊を連想させるものに感じた。こういうリフを今まで耳にしたものからインスピレーションを得て作っているのだろうけど、いやはや恐ろしいセンス。サビの3オクターブにも及ぶオクターブユニゾンのシンガロングもスケール感をより大きいものにしていると思う。

まず聴いた人が1番最初に思うのが、歌い出し(Aメロ)が英語?もはや何語?か分からない言語に聞こえてしまうことではなかろうか(岡崎体育のNatural Lipsを思い出してしまったことは内緒にしたいと思う)。多分というか間違いなくわざとこういう発音で歌ってるのだろう。遊び心か何だろうか私には分からないけど面白いねぇ。そしてこの歌心。なんか前も書いた気がするけど、元貴さんの歌心にある「憂い」が群を抜いて滲み出ている曲だと思う。クリティカルに言えばブレスの量だとかエッジボイスの使いどころだとかそういう話。全編を通してそれをとても感じる。

ただ、歌っている内容は凄まじい。言葉遊びを織り交ぜながら、後ろ向きな君と僕の気持ちの駆け引きを海上の航海に叙情しているように聞こえた。でもって最後のほう、なかなかにエグいことを言っている。

そう僕は溺れられず生きている

 

そうここは君と僕の世界

本当は溺れたいのだ。時に救いにもなるけど、どっちつかずのラブでモヤモヤしている僕は君が僕に寄ってきてくれるのか確かめた。君は僕を諦めた。沈みたいのだ。沈んで君と僕だけの世界に、僕が行きたい。

骨を流さず残してくれ

僕が死んだ後も僕の骨を海に流さずに、君の元に残してくれ。君と僕の世界。いやぁ。そこまでの狂気的な感情を表現しているのだろうか。なんというか、私には寂しさが爆発しているように聞こえた。寂しさの到達点というか。でも、こういう寂しさを感じてるからこそ元貴さんは愛を謳うんじゃないかなと思う。寂しくなければ人を愛さなくていいし愛されなくていい。そう考えると寂しさは人間が人間らしく生きるために必要不可欠だし、それを無くしてはいけないからこそここまで強くそれを表現してるのかな、とも思う。言い過ぎかな?でも本当にそう思う。

まあ曲の最後のパンチラインとしてはかなり強烈、というかしぬほど強烈ではなかろうか。皆さんはどう感じただろうか。是非聞きたい。

 

6.ProPose

この曲は音楽的にめちゃくちゃ面白い。音楽理論的にではなくて「音」としてね(もちろん音楽理論的に面白い部分もあるので少々後述)。多分このアルバムの中で1番革新的な曲の作り方をしてると思う。一言で言うと「無機質なモダン」。

まず曲構成。

イントロ→Aメロ→サビ→2A→2A(2)→2サビ→間奏→ラスサビ(転調+1)→ラスサビ(2)→アウトロ(転調+1)

 という構成になっている。まあBメロがないのは確かに特徴ではあるけど、それ以上に面白いのは、この曲に関してはメロディの良さを1番の武器として勝負しようとか、そういった狙いがあまり感じられないように思えるのだ。もちろん聴きやすいメロディであることに間違いはない。だがそれ以上に、トラックのほうに耳が行く人が多いのではなかろうか。というか作ってる側もそっちで「遊んで」つくったような気がする。

なぜか。この曲、前半はピアノメインでとてもシンプルかつシックな曲なんだけど、後半(上の構成で言うと間奏から)から怒涛の「遊び」が始まる。楽器隊の動きがバラッバラなのだ。私は最初聴いた時脳がバグった。この人たち頭おかしいんじゃないの?がはじめの感想である。

ふつう楽器隊、特にリズム隊(ドラムとベース)は拍の取り方を合わせる。ドラムのキックの音にベースの頭を合わせる。とかね。だがこの曲、休符を入れるタイミングがバラバラなのだ。バラバラというかもはやランダム。なんだこれ。ジャンル的には一種のプログレとでもいうべきなのかな。これも発想の妙。どうせ言い出しっぺは元貴さんなんじゃないのかね。変態である。褒めている。

で、初めの方に「無機質なモダン」と表現したけど、ボーカルだけは無機質ではなく突き抜けた情緒を感じる。多分そこも狙いがあっただろう。ボーカル以外を徹底的に無機質にサウンドメイクする。本当に面白い。あと個人的にこのサビのコード進行後半好き。オトナ。

そんでもってこの曲も寂しさをとっても感じる言葉が沢山なんだよね。何だろう寂しい曲が続く。というかこのアルバム、全体として寂しい空気感が流れてるんだよね。私にはそんなふうに感じる。空っぽ同士で群れたがるような人間の君に、なんで僕は恋をしてるんだろう。しかもその思いすら告げられない。好きという気持ちに慣れない僕には他の気持ちが付け入る隙がない。でも、哀れなことにそんないっぱいいっぱいなのは疲れちゃうし空っぽになってみたい僕が居る。これらも人間の抱える矛盾のうちのひとつなんじゃないかな。葛藤。人の心の温かさに触れたいのだけれど、誑かされる。人間という生き物、本来は寂しいのだ。だからこそ前述したように愛を求めているんじゃないかな。あくまでも私の考え想像ですのでね。

更に韻もこれでもかってくらい踏んでいる。それでもしっかりと意味が通ってて訴求力があるのが本当に凄いよね。改めて底知れない。

 

7.僕のこと

この曲に関してはかなり話したいことがある。たぶん長くなる気がする。そして初めに言いたい。この曲は奇跡の曲なのだ。それを今から長々と話したいと思う。

まず音楽的な話をしていきたい。この曲は構成とコード進行が非常に面白い、というか稀有だ。私はこの曲と同じ構成、コード進行の曲は今まで聞いたことがない。まず構成から。

A(歌い出し)→B(Aメロ)→C(1サビ)→B'(2A)→C'(2サビ)→間奏→D(冬に咲く花に〜)→A'(落ちサビ)→C''(3サビ)→A

という構成になっている。なかなかに複雑であることがこれを見ただけでも分かると思う。「',"」を付けているセクションは元のものから少し変化している、厳密には同じセクションではないよ、という意味合い。

恐らくこんな構成の曲はない(2回目)。初めて聴いたときのことを鮮明に覚えている。1番を聴いたところまでは通常の曲構成と同じく、2番が繰り返されるのだろうと思っていた。しかしこの曲は違った。2番のAメロでさえ1番と違うのだ。具体的には「みんなもそうなら少しは楽かな〜」の部分。ここは1番にはない。こういうところもフックになっていて聴き手は無意識に「ん?」となるし新鮮に感じる。コードの展開もシリアスで、歌詞との共鳴があってグッとくる。

そして2サビ。なんと、1番で使っていたコード進行と違うのだ。感覚的にいうと、2番のほうが暗くてシリアスな響きがすると思うのだ。気付かなかった人は今すぐ聴き比べてほしい。具体的に言うと

1サビ:G→D→Em→Bm7

2サビ:Em→Bm7→C→D→G→DonF#

「ああなんて素敵な日だ」までのコード進行が上記。「m」というのが「マイナー」と読むんだけど、これがいわゆる暗い響きのコードだ。2番は冒頭からこのコードが使われている。もう一度言うがハッキリ違うのだ(本当にすぐに聴いてみてほしい)。1番と2番がこういう形で違うのは今の日本のポップスではほとんど見られない。しっかりまとまった曲として成立しづらいからだ。この人本当にどこまで凄いんだという感じであるが、こういう奇跡の曲が実在するのだ。

そして間奏で転調(G→Bb)していわゆるCメロに行き、荘厳なブラステーマセクションを通り落ちサビへ。ここも落ちサビというか、1サビの後半部分「僕らは知っている〜」から。何度も言うが、なんと面白い曲構成なのだろうか。そして最後のサビへ。ちなみにここのコード進行は1サビと同じ。最後のサビも、1サビ前半+「全て僕のこと〜」という形で、1サビと全く同じではない。そして最後に歌い出しと同じセクションに戻り、静かに終了。凄い。圧巻である。何なんだこの曲。こういう曲の編曲も全部1人で済ませているというんだから本当にとんでもない。どこからこんな着想を得ているのか。底知れない。

次は歌詞について。歌い出しから胸が締め付けられる。僕と君、同じ人間という生き物なのに何が違うのだろう。何で僕だけがこんなに何かに怯えているのだろう。他の人もそうならいいな。これは元貴さんの本当の気持ちでもあると私は思うし、いろんな人が感じたことがあるんじゃなかろうか。人間関係でも将来の事でも、不安に押し潰されそうなのは自分だけなんじゃないか、他の人も同じだったらこの気持ちを分かち合えるのに。伝わることのない思いもある。寂しいね。本当にこのアルバムの曲達は寂しさが具現化しそうなくらい寂しさを感じる。元貴さんが「暗い」って表現してたのはそういうことも含めてなのかな。この伝わることのない思いっていうのはひょっとしたら、元貴さんにとってはAttitudeで歌っているようなことなのかもしれない。彼のみぞ知るところ。

幸せと思える今日も、夢破れ挫ける今日も、得ては失う日々だけど、全部素敵な日だ。この狭くて広い世界で、必死に踠いて生きている。広くて狭い、じゃない。狭くて広い、なのだ。人間同士の関わり合いは狭いところで行われていることが多いけど、この世界は本当は広い。自分と同じ気持ちの人間が世界のどこかに必ずいる、そんな気持ちにさせてくれるほどにはこの世界は、広い。僕はそんな奇跡を唄うのだ。僕のことは本当に奇跡の曲だし、私にとってはまさにミセスは奇跡を唄っているのだ。

でも、私たちが普段生きている現実に、できなかったことが急にできるとか、そういった奇跡なんてのは無い。無いのだ。死んでしまっているのだ。そんなことはみんな知っている。努力は必ず報われる訳ではない。「奇跡は起こるよ」なんて風に歌う人もいるけど、絶対そうじゃない。それでも、自分が今日まで苦しみながら挫けながら努力してきた「軌跡」こそ君が胸に持つべきもの。全くもってその通りだと思う。綺麗事でもなんでもない、真実を信じて生きていくべきだと私も思う。

そして今日を、今を生きている。大人になるにつれ忘れてしまう学生の、子供の今だからこそ、今しか抱けない何でもできるような気持ち、限りある永遠。いつまで経っても忘れられない、癒えそうにない、治りきらない心の傷。全て含めて、今日を、今を生きる僕を創り上げる僕のこと、僕の人生だ。僕と君とでは生きてきた道が違う、それぞれの人生があるけど、だからこそ僕は僕のために生きていて、僕は僕として生きていく。それだけで、僕が、人間が、この上なく愛しいのだ。愛しいことなのだ。私はそういう風に捉えた。とてもそう思うし、でも普段そんな風に強く意識して生きることは、普通の人間からしてみれば難しい。それをこうして気付かせてくれる。これも、とても愛しいことだ。繰り返すが、受け取り方に正解はない。これは私の考え。

私は僕のことを初めて聴いたとき、歌詞と音楽的革新性両方に心動かされて、今までに味わったことのない感情になったことを本当によく覚えている。だから私は、今でも聴く時に他の曲と違う感触を得るのかもしれない。最後にもう一度言うが、産み落とされたこと自体が、奇跡の曲だ。少なくとも私はそう思って聴いている。

 

8.青と夏

私の体感1番売れた曲。てか数字的にもそうなのでは?何なら映画よりこの曲の方が有名まであるのでは?当方映画観てないですごめんなさい。

具体的に曲について。2時間でこの曲の編曲まで終わらせた大森元貴、天才。以上。

あとMVのラスサビのところ、大好きです。言葉にならない感情がまさにそこにある。

(…青と夏クソ短くね?)

 

と、なんとまあ最後の青と夏の適当さである。まあこの曲に関しては相当浸透してるしいっかということで。てことで今回はここまで。すぐ出すと言っておきながら結局1週間後くらいになってしまった。言葉だけじゃなくて音楽的な面白さ、深さも伝わったかなぁ。残りの曲ももちろん次回以降でバチコリ書いていきたい。なんとか早めに書きたい。言いたいことは沢山ある。ので、よろしければまた読んでください。

あとこのアルバム、なんというか今までのMrs. GREEN APPLEの作品を全部もう一度よく考えて聴き返したくなるような、そんなアルバムだと思うのです。もう一度歌ってきたことを辿っていきたくなる、本質を今一度顧みたくなる。最近ミセスを聴くようになった人達もそういう気持ちになったら、彼らの本意が表面以外に、遂に伝わると思うのです。勿論完全にとは言わない。完全に伝わらないから、届かないから音楽を作り続けるんだと思うし。難しいなぁ。

てかまじで長いな。全部読んだ人すごすぎ。ちなみに私は読んでないよ。

そんじゃまた次回の記事で。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。

 

僕のこと

僕のこと