シンギュラリティこわい

世に対する疑問、音楽の解釈、ふと思ったこと、積年の思考、すべて表現の自由の担保

現在の日本の音楽シーンを創るものは何か

どうも。ビバ春休み!がしかしどうにも6時に寝る生活から脱却できない。ぼちぼち治さねば。

今回は年も明けたので、今改めて日本の音楽シーンを俯瞰したときに見えてくる現状を分析してみることで、世界における日本の音楽シーンの独自性とか、起きている変化を捉えて、それによって自分達が今メインストリームで聴いている音楽の価値など、まで掘り下げることができればなと思う。何の意味があるのかと言われれば別にこれといった意味はないわけなのだが、聴いている音楽は多様であればあるほど豊かな気持ちになれる、楽しみ方が指数関数的に拡がる、という持論に基づく企画である。人生における音楽の価値・位置付けは当然人それぞれであるけれども、少なくとも人生の大きな楽しみのひとつとして音楽を嗜んでいる人にとっては自身の音楽観に自覚が芽生えるというのは娯楽としても意味のあることだと思うのでそういう人はよかったら覗いてみてね。無論ロックだEDMだと特定のジャンルしか聴かないことが悪いとかそういったことでは一切ないのでそこは留意していただきたい。音楽であれ何であれ芸術というものは「楽しむ」という観点からすると悉く主観的であることは間違いないので。

てなわけで早速始めていきたいと思う。現在の日本の音楽のメインストリームに君臨しているアーティストの音楽性・バックグラウンドを掘り下げることで日本人がどういった音楽を今現在好んでいるのか・あるいはアーティストがリスナーに聴かれやすい形で聴いてもらおうとしているのか、を分析していく。勿論全アーティストを取り上げることなど不可能なので、今回は数組に絞った。以下、彼らの音楽性を分析してみる。

 

Official髭男dism

もはや説明不要だと思うので紹介は割愛。2019年一気に国民的アーティストにまで上り詰めた彼ら。偶然ヒットしたのだろうか。いや違う。偶然が重なって何曲もヒットチャートを髭男の曲が占めるということはまずない。彼らは大衆に聴かれるべくして聴かれ、広がるべくして広がったのだと私は思う。ではその彼らの音楽性はどういったものか、具体的にみていこう。

まず、彼らのルーツとして1番大きなものは間違いなくブラックミュージックだ。とりわけドラムパターン・リズムという観点においてブラックミュージックをとてもリスペクトしていると思う。様々なジャンルを横断的に楽曲に取り込んでいる彼らだが、その根幹はこれらのブラックミュージックで間違いないだろう。ちなみに本人達はデビュー前、様々な音楽を聴いてはいたがとりわけメタルを好んで聴いていたらしい。確かに「Fire Ground」など、あるいはギターソロのある曲では、メタルの要素を含んだ曲もある。

そして彼らのアルバム「エスカパレード(2018)」では大々的に70年代のディスコミュージックを取り入れている。それもただ焼き直しをしているわけではなく、アレンジ面で現代的にアップデートして自分達の音楽として改めて鳴らしている。さながらBruno Marsを彷彿とさせるゴージャス感。この「前時代の音楽を解釈し直してもう一度持ってくる」という行為は時代とともに進化する音楽の本質とも言えるだろう。その意味でも、彼らは音楽の進化の断片を間違いなく担っている、称賛されるべきアーティストだと思う。他にも「宿命」で取り入れられているファンクをルーツに持つホーンセクションとシックなシンセベースなど、枚挙に暇がない。是非自分の耳で他にも沢山確認してみてほしい。

そして最新曲「I LOVE...」では、遂に日本以外の全世界のトレンドであるHip Hopで使用されるハイハットが印象的なビートを取り入れた。世界ではラップを乗せていたこのビートに練りに練ったメロディ・アレンジを乗せたのは彼らが初めてではないだろうか。底知れない。恐らくこれからも無限に進化していくのだろう。

このように、私達が好んで聴くアーティストには必ずルーツが存在する。それは前述した「音楽の進化」の観点から分かっていただけると思う。自分の好きなアーティストのルーツを辿ってみる、これも音楽の楽しみ方のひとつだと思う。「あぁこの曲のこの部分からヒントを得ていたんだ」とか、気づくことがとても沢山ある。本当に。そうやって音楽の聴き方が拡がっていくのは少なくとも私は本当に楽しい。

ただひとつ言っておきたいのは、そのルーツを自らの音楽に昇華するのは簡単なことではないし、ただの焼き直しと言われてしまう可能性もある。もっと言えばそういう楽曲制作の際に取り入れるエッセンスを選ぶ「アンテナ」もとても優れているということだ。その中で彼らは独自性・大衆性を保ち続けている。これが如何に凄いことなのかは私が言うまでもない。

そして、Vo.藤原聡の圧倒的な歌唱力をもって髭男の音楽は完成し、圧倒的なクオリティを確かなものにしている。この両者どちらかひとつ欠けても髭男がここまで大きなアーティストになることはなかったのではないか、そう思わずにはいられない。言うまでもなく、これからも要注目である。

 

King Gnu

彼らも説明は不要だろう。一言では括り難い独自の音楽性を堅持する彼ら。敢えてジャンルを付けるとしても「ミクスチャー」だろう。ちなみに本人達は自らの音楽ジャンルを「トーキョー・ニュー・ミクスチャー」として提言しているらしい。ともあれ、掘り下げてみよう。

まず、彼らは全員が全員、選りすぐりの音楽エリートであるということが大きな特徴のひとつである。とりわけリズム隊の2人はセッションミュージシャンとしての顔を持っていたりと、超が付くほど演奏がうまいのだ。そんなバンド多分他にない。よってバンド全体としての演奏力はメジャーなアーティストにおいては日本屈指である。これだけ全体でクオリティの高い、J-Popを鳴らすバンドなどそうそう現れないのではなかろうか。

そして、このバンドの全てのフィクサーである常田大希が鍵を握っている。彼は東京藝術大学の器楽科チェロ専攻を中退している。なので恐らく楽典的な音楽の知識は確実に持っているだろう。藝大へ入学できている時点でその才能に疑いの余地などないのだが、具体的に言及させてほしい。King Gnuの楽曲は彼が全て作詞作曲プロデュースを行なっているため、音楽性は必然的に彼のルーツが表れている。ミクスチャーと称するだけあってクラシック、Hip Hop、ジャズ、R&Bなどのブラックミュージック、オルタナフュージョン、J-Popと正にジャンルレスに要素を取り入れている。とりわけビートに関してはHip Hopの影響を多大に受けていると思う。そしてここが最も面白い点なのだが、恐らくKing Gnuは、自分達がJ-Popをやっている、ポップスをやっているというあるいはやるんだという強い意識があるように思う。これはこのようなミクスチャージャンルにおいては少々特異的で、そもそもポップネスとの共存が難しい、というかほとんど前例がない。100年後くらいの人達がこのジャンルに「ヌー」とかなんとか付けるんじゃないかというくらいに。それほどKing Gnuの音楽が生まれたという事実は後々歴史的に大きくなるんじゃないかとすら思っている。少なくとも日本では。なので世界でも見つかってほしいと思う。そして話を戻すがこのポップネスはVo.井口理の声に強いエビデンスを担保してもらっていると思う。彼のルーツがJ-Pop、邦楽だという事実も大きいのであろう。ちなみに井口も東京藝術大学声楽科卒業(テノール)で、常田と幼馴染である。凄いよね。正に完璧な音楽集団なのである。そしてこういう難しさと大衆性を両立した音楽を意図的にやっているKing Gnu、今後ももっと良からぬ企みをしていることだろう。非常に楽しみ。

ちなみに常田はソロプロジェクト「Millenium Parade」でも並行して活動しているこちらでは本当に自分がやりたいこと思いついたことをやりたい放題やっている、といった印象。とはいえ共通点は多々ある。King Gnuが好きな人は是非聴いてみてほしい。

 

星野源

そしてそしてこの人がおそらくここ最近の日本の音楽シーンにおいて最も重要、最も偉大なミュージシャンだと私は思う。と言っても彼が天才だとかそういう褒め方をするつもりは毛頭ない。才能とかそういったスケールのものではなく、彼の音楽への愛が結実したものが彼の音楽の形なのだと思う。彼の音楽に対する向き合い方、フィロソフィー、日本の音楽をリスナーから底上げして進化させたいのだという強い意志が変態的なのだ。本当に「凄い」。

星野源の音楽を分析する上で欠かせないのが、「イエローミュージック」である。先程King Gnuの音楽に後々ジャンルとして名前がつくんじゃないのかという話をしたが、このイエローミュージックに関しては、既に識者・音楽業界の方では使われている言葉である。これは今や彼が持っている唯一無二のジャンルとなったが、これにも当然バックグラウンドが存在するわけである。まず、彼の最大のルーツはブラックミュージックだ。わかりやすいのがドラムのタイトなビートである。これが星野源の音楽を星野源の音楽たらしめる所以である。R&B、ソウル、ジャズ、ブルースと彼の楽曲の中には様々なブラックのエッセンスを感じるが、これらをただ単に突き詰めているだけではなく早回しにしてタイトなリズムにしたり、日本情緒をもつポップスつまり自分の音楽性の融合を行えた。そしてそのクオリティは確かなものとして認められているし、楽典的にも実際そうだ。ここまでメインストリームを席巻している、日本一といっても語弊はないであろうアーティストが挑戦的・野心的に、なおかつ自身の音楽をルーツからトップまで俯瞰して音楽制作に取り組んでいること自体が稀有であるのだ。繰り返すがだからこそ星野源は本当に「凄い」のだ。名だたる重鎮的アーティストが手放しで星野源を褒めちぎるのだ。これほどまでに洗練された難しいポップスなど日本中どこを見渡しても存在しないのだろう。それが大衆音楽として受け入れられているのも本当に凄い。そう考えると、今現在極上の音楽を聴けている私達、スーパー幸せなのではなかろうか。

具体的な楽曲の話をしよう。彼の代表曲「」も、彼が自信を持って発信するイエローミュージックとのこと。ここでテーマになっているのが「モータウン」というジャンル。こいつを早回ししたら面白いんじゃないかということで「モータウン・コア」としてこのテンポ感で改めてつくったらしい。これも彼のルーツが広いが故に生まれるアイデアの豊かさである。

彼の曲でも1番スーパーな曲が「イデア」である。自身の最大のアイデンティティであるイエローミュージックはそのままに、2番ではトラップビートを全編にわたって貫いている。普通Bメロだけとか、極めて局所的に差し込むのが限界なのだが、彼は違った。そこを突き破ることのできるある種で横綱相撲的とも言えるクリエイティング。そして彼の原点である弾き語りを経てイエローミュージックへと帰還するという、彼の音楽への途方もない愛の結晶とでも言うべき1曲なのだ。実にこの曲の制作には8ヶ月かけたということであった。

もっと言ってしまうと、星野源は日本の音楽リスナーの底上げを図ろうとしているのではなかろうか。海外のビートや音を取り入れた「攻めすぎ」とも言えるくらいの音を作りながらもポップスとして昇華している彼の曲に対して、純粋になじみ深いポップスとして楽しんでいる人もいるだろうし、これは初めて体験するリズムだ、とか色々思いながら聴いている人もいることだろう。この奇跡とも思える共存状態は彼はきっと意図して作り出してきたと思うし(星野源は以前インタビューで日本に16ビートを浸透させたいという思いを語っていたこともあるほど)、リスナーが特に意識して聴かずともこういった曲が浸透していけばリスナーは無意識にビート感覚をアップデートしていけるわけで、これこそ星野源の狙い・願いなのではなかろうか。

彼の進化は死ぬまで止まらない気がする。星野源のイエローミュージックをHip Hop、トラップビート、ベースミュージック、EDMのマナーなどを加えて更にアップデートした日本音楽史上に燦然と輝くべき大傑作「Pop Virus」は、音楽が「とても」好きな人は全曲擦り減るほど聴くべきである。これを聴き込むだけで音楽に対する地平は今までの比にならないほど広がると思う。必ず。マジで。

 

まとめ

以上、私なりに現在の日本の音楽シーンを分析してみたわけだが、今回私が分析したアーティスト達に共通するものは「万人が好むポップネス(音楽理論的)」と「音楽そのもののクオリティ」を極めて高い次元で共存させているという点である。とりわけそのルーツは例外なく、現在世界を席巻し続けるブラックミュージックにあるという点も興味深い。この2点を掴めているアーティストは国内ではもはや無敵状態であり、彼らの影響を沢山のアーティストが受けることで更に日本の音楽シーンを活性化・グローバル化していけるのではなかろうか。今現在、日本のヒットチャートは世界的にみても特殊であり、チャートのほぼ全部をJ-Popが占めている。あらゆる国でチャートインしている世界の流行であるHip HopやRapはほぼ含まれていない。日本の音楽が「ガラパゴス化」していると言われる所以だ。しかしおそらく日本の音楽シーンは上記の理由から、ここから加速度的に拡がりを見せると私は思っている。とても楽しみ。あ、あと米津玄師取りあげたかったけど疲れてしまった。すんません。そんじゃまた。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。