シンギュラリティこわい

世に対する疑問、音楽の解釈、ふと思ったこと、積年の思考、すべて表現の自由の担保

Romanticism

どうも。春が来たぞー。暖かいのう。春眠暁を覚えず。春の夜眠り心地良すぎワロタ。朝起きれねえ。

てなわけで、今回は前回予告した通り、先日各サブスクサービスで配信が開始されたMrs. GREEN APPLEの新曲「ロマンチシズム」について自分なりの考え・感想・分析をつらつらと書いていきます。元貴さんがどこまで意識的に仕掛けを設けているかは分からないので、あくまで僕視点です。一応目次を作っておきます。それではレッツゴー。

 

 

タイトル「ロマンチシズム」

 

まずタイトルについて。

「ロマンチシズム」って何だろう?まーたあの人は哲学用語か?などと考えた人もいることだろう。ロマンチシズムとは、Romanticismのカタカナ表記で、日本語訳はそのまま「ロマン主義」らしい。じゃあロマン主義って何よ、てことで以下Wikipedia引用。

 

ロマン主義(ロマンしゅぎ、英: Romanticism、仏: Romantisme、独: Romantik、伊: Romanticismo、西: Romanticismo、葡: Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動の一つである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇など様々な芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義自然主義などをもたらした。

 

結構長々と引用してしまった。が、要は『理性的・合理的に動くよりも感じたままに思ったままに、客観的に考えるのは一旦やめて自分視点で想像力をはたらかせて動こうぜ』ということだと思う。その主観的な動きがこの曲にも大きく関わる恋愛賛美とかオリエンタリズムとか夢とか神秘とか、所謂「ロマンチック」なものを追求する動きへと繋がったのではなかろうか。

 

ちなみに音楽的なロマン主義(ロマン派と呼ぶことが多いが)は、中学の音楽の教科書に載ってたのはショパンとかその辺の時代の作曲家一派のことを指すと思われる。これはあまり関係ないかも。

 

あともうひとつ、ジャケットの犬はこの「ロマン主義」と何か関係でもあるのかなと思い調べたのだが何も出てこず。単に曲の音楽的イメージとか可愛さとかから犬というイメージに結びつけたのだろうか。ジャケ写もかわいいし。何か分かった人いたら教えて。

 

とまあタイトルから僕ができる話はこのくらいなので終了。歌詞とどう繋がるのか。次。

 

歌詞から紐解くロマンチシズム

 

次は歌詞がどういう内容なのか意味なのかを僕なりに掘り下げてゆきたいと思います。何回も言うけどあくまで僕視点です。行くぞー。

 

まず全体を通して、この曲は恋と愛とそしてやっぱり人間のことだな、人間愛歌だな、と思う。また資生堂SEA BREEZEのCMタイアップというのもあって歌詞にも「白熊」などSEA BREEZEを連想しやすいものが組み込まれているようにも思える。伝えたいこととタイアップへの考慮、両者の絶妙なバランス感覚が元貴さんの凄いところである、というかプロの作家の凄いところである。

 

でもって具体的な内容に踏み込む。この曲は、2番まではサビ前半までが言うなれば「表テーマ」、サビ後半が「裏テーマ」であるように思える。

「表テーマ」では純粋に恋を歌い、「裏テーマ」では恋と愛を通して分かる人間らしさ・人間の愛らしさを歌っているように感じた。今回はこの2つにわけてこの曲の歌詞を紐解いていこうと思う。

 

まず表テーマから。

 

流石にそろそろあなたに恋する私に気づいて欲しいのです。

 

こんなキュンキュンする詞があるだろうか(反語)。こっちは勇気を持ってあなたに声かけたんだから、精一杯のアピールをしたんだからそろそろ気づいてよ、というスーパーキュンキュンワード(語彙選択の誤り)である。なお筆者の僕は男子校出身なので非常にチョロいため、仮におかずクラブ・オカリナからこれを言われても1.0×10^-4秒くらいはキュンとする自信がある。まさに瞬間汗キュンである(わかる)。表テーマにおける最高のパンチラインである。

 

心動いたならあなたに恋する僕を見てみて欲しいのです 僕に気づいて欲しいのです。

 

からのコレである。僕の勇気にちょっとでも気が変わったらあなたに一生懸命に恋する僕も少しは見てみてね、とこれまた以下同文なスーパーk(

失敬。それと、この曲の凄いところは一人称に「僕」と「私」両方が使われているところ。これによって男女問わず感情移入がしやすくなっているように思う。流石です。

 

次に裏テーマ。むしろこっちのほうが書きたいことまである。

 

愛を愛し 恋に恋する

僕らはそうさ人間さ

愛裏返し 故意に恋する

奴らもそうさ人間さ

 

前述した「サビ後半」とはここからのことです。全体の割合としては非常に少ないが、ここに言いたいことを詰め込んできていると思う。

『人間は愛が好きで、恋が好き。恋をすること自体に恋をしてしまう(自分が恋をしている状態が好き)ものなのだ。ただその一方で、愛情をうまく表現できずに気を引きたいけどやり方を間違って失敗するひねくれ者がいたり、恋するぞ〜と意気込み過ぎて空回りする奴がいたりする。彼らだって人間なんだから、優しくしてね。』

ということを元貴さんは分かってほしいのではなかろうか。もっと言うと自分という人間を、自分と同じひねくれた人のことも分かってあげてね、愛してあげてね、と言いたいのではなかろうか。ここで面白いのは、元貴さんは「僕ら」ではなく「奴ら」側の人であるということである。恋がメインテーマの曲で自分を三人称に置いて歌詞を書いているのである。何なのこの人。

ちなみに「恋に恋する」という表現を使っている英国の有名な詩人がいたので揚げておきます。

In her first passion, a woman loves her lover, in all the others all she loves is love.

- George Gordon Byron (バイロン) -

女は初恋では恋人に恋するが、その後は恋に恋する。

(英国の詩人 / 1788~1824)

 

なんと見事にロマン主義の時代(18世紀後半〜19世紀前半)とかぶっているのだ。元貴さんはこれ知ってたのかな?ヤッベッゾ(ナ◯ル)。

 

出会いを介し ちゃんと愛を知る

私はそうさ人間さ

悪戯にも哀を知り 君と居たい意味を教える

僕の人生さ

 

2サビ後半もまた元貴さんらしい愛に溢れた言葉である。

『気持ちを弄ばれたりとか、思わぬ他意に傷つけられたりもしたけど、それでもあなたのことが好きだというのは一体どういうことなのか考えてね。』

とある種聴き手に対しての問いかけにも思える詞である。人間の汚い部分も僕は愛せるよ、それでも愛おしいと思えるよ、とデビュー当初からミセスが歌い続けてきた人間愛をこういう恋の曲でも表現しているとしたらこれは凄いことだし、それほどにその想いが強いというとだろう。拡大解釈かもしれないが、今までミセスが表現してきた内容からの推測なので、もしかしたら共感してくれる人もいるのではないだろうか。

それと何が凄いって、この語感の良さ、リズムでこの内容を元貴さんは伝えてきているのだ。しかも韻まで踏んで。凄過ぎるのである。奇跡みたいな曲なのである。

んでもってこうして全体を見てみるとなるほど確かに恋愛賛美、人間愛な曲でタイトル通り「ロマンチシズム」だな、と思える。ほんとに凄いね。

 

とまあなんと雑なまとめ方で歌詞についての考えをつらつらと書いてきました。これを読んだ人の歌詞に対する考えが前より少しでも広がればよいなと思います。

ちなみに英語では「愛」も「恋」も「love」と訳されるよね。これはとても示唆的で面白いことだと思う。日本人の情趣ってすんげえなぁ みつを

 

音楽的視点から紐解くロマンチシズム

 

次です。長いですね。ここまで読んでくれた人好き。さあロマンチシズムが本当に面白いのはここから。毎回常に何かしら音楽的な挑戦を仕掛けるMrs. GREEN APPLEですが、今回も仕掛け、あります。かなり具体的に掘り下げていきます。興味ある人レッツゴー。

 

まずAメロのメロディ。多分気づいた人もいるだろう。「あなたって人はどんな人?」の部分、実は元貴さんの音楽を始めたルーツである、MONGOL800「あなたに」のAメロのフレーズ「人に優しくされたとき」とほぼ同じメロディラインなんです(うるさいことを言うと両曲のキーは違う)。

おそらく意図的ではないとは思うが、このタイミングでルーツが溢れ出てくるのは面白いな、と個人的に思う。まあ流石に作った後に自分で聴いてみて気づいてるとは思うけど。

 

次にBメロ。ここではとても面白い手法を採用している。

イヤホンをつけてこの曲を聴いてみてほしい。左右から流れてくるボーカルは同じだろうか?

おそらくここでは同じメロディラインを別録りして左右に結構PANを振っている(「募る」の部分は片方がハモっているが)。

いわば「左右から同じメロディが聞こえるけど別々に歌っているように感じる」状態になっているはずである。これにより緊張感、臨場感がもたらされ、静かになるここで使うことでサビとのメリハリがつき、結果として曲全体の印象を引き締めるのである。

この「ボーカルを二重にする」という手法は主に最近の洋楽で多用されていて、歌唱力のあるボーカルにしか使えない。なぜならば左右にPANを振ったとき、メロディを少しでも外すと気持ち悪く聞こえてしまうからだ。ハモりだとなおさらである。元貴さん凄いね。

 

そしてサビ。これはとてもわかりやすい。聴けば分かるのだが、ボーカルメロディに1オクターブ上で重ねている。所謂「オクターブユニゾン」と呼ばれるものである。しかもボリュームもほぼメインと同じくらいで。

これは曲にパーティー感を出したいときやメロディを強調したいときによく用いられる手法である。日本のアーティストで言えば(ちんちんが小さい)星野源や、King Gnuなどが多用している。ミセスの曲で言えば庶幾の唄も同じ手法である。

これに加えてサビ後半のハモりもまあそれは面白い。通常こういった明るい曲(長調)の曲はボーカルに対して上下3度か5度でハモるのだが、元貴さんは違うのだ。が、これ以上は本格的な和声学の知識が必要なのでここで止めておきます。気になる人は学んでみよう。

 

それと歌詞のパートでサビを前半後半に分けたと思うのだが、ココでも同じ。サビ後半にリズムパターンが変わるのが分かると思う。前半では裏打ちだったのが後半では表に小節頭に2拍打ちに変わっている。

おそらくここは前述した歌詞の変わり目と連動させているのではなかろうか。これも僕の解釈・考えに過ぎないのだが。

 

余談だが、僕は元貴さんの歌心にはいつもどこか隠し切れない「憂い」があるような気がしている。クリティカルな言い方をすると、エッジボイスの使い方や息の量の増減のタイミング、発音(歌詞に応じた口の開き方)がすべて哀しみを帯びている、ということだ。それが無意識なのか意識的に出しているものなのかは本人のみぞ知るところなので何とも言えないが、僕はそれがたまらなく好きだ。歌い方は昔と随分違うのだが、そこは変わっていないように思える。

 

結果的に主にボーカルにフィーチャーすることになってしまったが、掻い摘んで話すとこのくらいである。間奏のコード進行のアレンジが面白かったりするのだが、今回はここまでにします。

 

まとめ

 

といった具合に、Mrs. GREEN APPLEの新曲「ロマンチシズム」をタイトル、歌詞、楽曲、それぞれの側面から紐解いてみた。いかがだっただろうか。こんなに情報量のある楽曲を毎回作ってくる元貴さんがいかに凄いかも分かっていただけたかもしれない(もう既に分かっているかもしれないけれど)。

音楽は多面的に捉えることで何十倍にも魅力を増すものだと思います。何気なく流し聴きするのも一興ですが、折角楽しむならできるだけ多くのものを享受できる方が幸せではないでしょうか。

音楽のことを話すときはこんな具合でやっていこうと思います。今回はだいぶ長くなっちゃいましたが。これを読んだ人のミセスの聴き方・音楽の聴き方が豊かになれば良いなと思います。あと次回は何書くか未定です。

それではまた次の記事で。