シンギュラリティこわい

世に対する疑問、音楽の解釈、ふと思ったこと、積年の思考、すべて表現の自由の担保

PARTY is all about Mrs. GREEN APPLE

どうも。学生の皆さん春休みをいかがお過ごしだろうか。社会人の人、働け。最近周りに花粉症の人が多過ぎてその辛さを目の当たりにしてるので、いつか来るやもしれぬ自分が花粉症に苦しめられる日に怯えながら春休み終盤を過ごしてます。僕です。

さて、前回はMrs. GREEN APPLEの最新曲「ロマンチシズム」についてできる限り深く掘り下げていきました。

今回はタイトルにある通り、2018年4月にリリースされたMrs. GREEN APPLEの3rd AL『ENSEMBLE』に収録されている、このアルバムのリード曲である「PARTY」について深く掘り下げていこうと思っております。今回もミセスになっちゃった。ごめん。好きなので仕方ない。

 

PARTY

PARTY

 

同アルバムは発売されてから1年くらいが経つわけですが、改めてじゃあこの曲の正体(正体?)は一体どうなっているのかというのを見てみよう、てことでこの曲を取り上げることにしました。

さきに言っておくと今回も多分長くなってしまいます。前回だけだと思ったけどごめんね。それほどこの曲が持つコンテンツが豊富だということです。なんてったってこの曲はこんなに一曲に使っていいのかというくらいキラーフレーズだらけであり、音楽的にもてんこ盛りなのです。これは長くなってもしょうがないね。ごめんね。

前置きはこのくらいにしてさっさと本題にいきたいと思います。今回も当然あくまで僕視点の考えです。悪しからず。レッツゴー。

 

 

タイトル「PARTY」

 

まずは前回同様タイトルについて。僕はタイトルが明らかになった時、ミセスの音楽性の広さから、今回は名前通り今までミセスが通って来なかったパーティサウンドが来るのかなと割と安直に考えて待っていた。

ところがどっこいミセスから放たれたこの曲は、最近で言えばKing Gnuや洋楽のエレクトロポップなどに代表されるようなパーティサウンドではなく、まさに「組曲」とも言えるような情報量が異常(褒めている)な曲だったのだ。まあサウンド面の話は別にパートを設けるのでそこで。

タイトルである「PARTY」はサウンドの雰囲気からつけられたものではなく、歌詞との結びつきの強いものだった。この「PARTY」という言葉は歌詞にも度々登場するので、ここではこのくらいの話題にとどめたい。続いて歌詞を掘り下げていく。

 

歌詞から紐解くPARTY

 

てなわけで歌詞に焦点を当ててこの曲を見ていこう。

まず全体を通して、この曲を聴いた人なら分かると思うが、元貴さんの「人生観」が過去一出ている曲であるように思える。そもそも彼は哲学というものが好きで、哲学の大きなテーマとして「人生とは」「人生の意味」なんかがある。そこから影響を受けていることは間違いないので、何かしらの哲学のテーマとの繋がりも考えてみるのもよいかもしれない。それを踏まえて詳細に見ていこう。

 

もう一度
しがみついて
しがみついて
食らいついて
泣きじゃくって
汗を知る人になれ

いつか生まれる“僕”が
呆れ果てないように
馬鹿げてないバカになれ!

 

タイトルから予想していた歌い出しとはかけ離れた歌い出しだった。なるほどそっちに行くのか、という気持ちとあぁやっぱりそれでこそMrs. GREEN APPLEだという気持ち両方が生まれた人も多いのではなかろうか。

"馬鹿げてないバカになれ!"

いきなり歌い出しサビからのこのキラーフレーズである。

『人生は(楽しいことも勿論あるけど)多くは失敗と挫折の繰り返しだと思う。どれだけ挫折しても、そこからもう一度しがみついて食らいついて這い上がる。泣いてもいい、泣いた方がいい。苦しみを知っているあなたは知らない人より間違いなく強いんだよ。いつか訪れる未来を生きる自分から見損なわれないように、「向こう見ず、思慮の足りない馬鹿」じゃなくて、「向かうものに対してバカみたいに一心不乱になれる」人になってね。』

と僕は捉えた。「馬鹿げてないバカ」というのはこういうつもりで歌詞にしたのではなかろうか。それにしても凄いフレーズである。「いつか生まれる僕」というのも面白い表現だ。この「僕」は元貴さんではなく聴き手であるのが面白い。元貴さん自身への暗示でもあるかもしれないが(どっちなん)。あくまで推測なので。

 

言葉じゃないと伝わらない愛も
言葉にするとちょっとパッとしないよ
外に出ると人は案外 人だよ
好きになり嫌いになったりするの

 

『「好きだ」とかいう愛の感情は言葉にして相手に伝えてあげなきゃだけど、その時の言葉は決まりきっててチープに聞こえてしまう。』確かになぁ〜。難しいね。

「外に出ると〜」は僕は皮肉だという風に捉えている。

『社会やら友達の人間関係やら外交的な場面では人間はしばしば外面(そとづら)が良くなる。周りの顔色に合わせてニコニコしたり強い態度をとったり、都合を変えるよね。』

といったような意味に感じられた。No.7のような最近の人間へのシニカルさだ。

 

あぁ素晴らしい
賑わしい
僕が死ぬまでのパーティだ!
君でさえ嘘をつく
ちょっぴりの醜さで乾杯さ

 

「僕が死ぬまでのパーティだ!」

またもキラーフレーズ登場である。リード曲のサビで「死ぬ」というワードを使っちゃうのだ。「死」というワードは確かに聴き手を強烈に引きつける言葉ではある。

んで、なるほどこの曲の中では、パーティは人生の比喩表現なんだなという考えに至るのは容易だと思う。同時に、人生を考える上でまず何より先に「死」をゴールとして考えてるんだなぁこの人は、とも思った。いつか死ぬってのは当たり前だけど、自らの死とずっと向き合い続けることはそう簡単ではないように思う。

『無垢で綺麗な心を持っている(と思っていた)君でさえ嘘をついてしまう。でもそれが本来の人間らしい。そこも含めて僕は好きだ。』

ここでの「君」は、先ほどの皮肉の対象となった人間とは対照的な人のことだろう。元貴さんのこの考え方は昔から一貫している。好きである。

 

あぁ穢らわしい
汚らしい
誰か死ぬまでのダンスフロアは!
大人の方がコドモだな
ちょっぴりの気遣いに乾杯さ

 

1サビとは打って変わって真逆のアプローチである。こういった手法はよくあるが、その分内容を軽視しがちな傾向にある。歌詞にあまり重きを置かないアーティストは特に。だが元貴さんは違うのだ。

おそらくここでいう「ダンスフロア」は人生(=パーティ)のことだろう。ここは非常に解釈が分散する所だと思うが、僕は『死に怯えて、生き急いでいる自分本位な大人はみっともないし子供よりも実は精神的に"コドモ"。だからちょっとした気遣いでも大したもんだ。』ということではないかなと思った。あくまで僕の考えです。なんとなくここでは「WanteD!WanteD!」の歌詞に通じる毒が感じられる。

 

人の言う“時間”は
おんなじところにあるらしい
でもたまに羨ましい
君のことを妬んでしまう

 

『時間というのは人間全員に等しく与えられているものである。全員が同じ時を過ごしているのである。しかしながら、平等に与えられているものを持っていながら、環境や境遇や才能で君と僕の差を感じるたびに妬ましく思ってしまう。』

人間誰しも妬み嫉みを抱いてきたと思う。それは元貴さんも当然同じだろう。前述のように普遍的に言えることではあるが、ここは元貴さんが自分自身に語りかけている部分が大きいように思える。なぜか。

元貴さんは高校生の時にミセスの活動を本格化し、結成からたったの2年、在学中にメジャーデビューを果たした。とんでもないことである。これは音楽活動をしている他の若手アーティストからしたら羨ましい、妬ましいことかもしれない。だが、元貴さんからすれば自分は普通に過ごしている人なら送るであろう高校生活を、青春を、人並みに送れなかったのだ。そこが羨ましくなることがある。そういう類のことを度々インタビューなんかでも話しているし、おそらくここではその気持ちが強く出たのではないだろうか。他にも沢山あるかもしれないが、僕にはこれが一番強く想起された。

 

知り合って
笑いあって
傷ついて
歩み寄って
“人”を知る人になれ

いつか生まれる“君”が呆れ果てないように
愛を注げる人になろう。

 

そして最後。もう胸が一杯である。僕はこの歌詞を初めて聴いた時、ミセスの過去の曲たちを思い出さずにはいられなかった。

「人を知る人になれ」

『人と出会い、仲良くなってもその人にひどく傷つけられたりもする。人を信用できなくなったりもする。それでも、人を信じ歩み寄り手を取り合い生きてほしい。人間というものの愚かさ醜さを知り、その部分でさえも愛せるようになってほしい。そうすれば未来の君はきっと呆れることなんかなくなっている。』

という、誰よりも人という汚く醜い生きものを愛する元貴さんの「君」に対する祈りにも近い想いであるように思える。この想いは1st AL『TWELVE』リード曲の「パブリック」に最も強く表現されていると思っている。聴いたことない人は聴いてみてね。

それと、歌い出しサビでは「いつか生まれる"僕"」だったのだが、最後は"君"になっている。これは、前述したようにおそらくどちらも聴き手のことなのだが、最後にはこうして直接聴き手にあなたのことだよと自然と向き合わせるようにしているのではないのだろうか。意図せずだとしても凄いなぁ。

 

といった具合に「PARTY」の歌詞について触れてきた。はっきりと言えることは、この曲は元貴さんのバックボーンを他のアルバム曲よりもより一層強く纏っているということだろう。「ENSEMBLE TOUR」のMCで、「このアルバムは『TWELVE』を制作した時と同じように自分という人間と向き合いながらつくったから、本当に寂しかったし、傷ついたし、それだけ命を削ってつくった」という旨のことを元貴さんは言っていた。辛かっただろうなぁ。僕らリスナーもそのことを忘れてはいけないし、その元貴さんという人間の存在のあり方こそMrs. GREEN APPLEの本質だと思う。弾けんばかりのポップネスと実は表裏一体のこの事実を感じながら聴かねばならないなと思う。大切にしよう。

 

音楽的視点から紐解くPARTY

 

歌詞パート長すぎわろた。疲れましたね。ノンストップで読んでる人凄すぎ。しゅき。でも多分今からもまあまあ長いです。先に謝っとくごめん。てことでやっとこさ音楽的にPARTYを掘り下げることができます。さあ冒頭でも言ったようにこの曲、とんでもないことになっているのだ。マジで組曲なのである。かなり細かく分析するのでこのパートは更に小見出しをつけて分けます。レッツゴー。

 

曲構成が面白い

 

先程から何度も言っているが、組曲なのである。なので、セクションを分解し、それぞれが音楽的ジャンルのどれに分類されるのかをみていこうと思う。

 

  • 「もう一度〜」→A(ポップ)
  • 「言葉じゃないと〜」→B(ピアノ+ストリングス)
  • 「あぁ素晴らしい〜」→C(アイリッシュ)
  • 「青い春は〜」→B(ピアノ+ストリングス)
  • 「あぁ穢らわしい〜」→C(シンフォニック)
  • 「ずっと柔らかい〜」→D(ストリングス)
  • 「RELAXして〜」→E(ロック+ストリングス)
  • 「あぁ素晴らしい〜」→C(ポップ+アイリッシュ)
  • 「知り合って〜」→A(ポップ)

 

分解するとこんな感じ。コード進行・メロディが変わっているところは全て分けた。なおセクション間の間奏は割愛した。Bにはギターフレーズも鳴っているが、メインではないので書かないことにした。

ざっくりと全体の流れを説明すると、Aは導入、その後は通常の曲と同じ流れに入り、BがAメロ(ややこしいわ)、Cがサビでその後2番も同様、D,EがCメロ(だからややこしいだろ)、その後ラスサビ、最後に導入に戻る、といった構成になっている。

Aを「導入」という変な表現をしたが、これはサビと言ってもよいだろう。つまりこの曲にはサビが2つあるのだ。その時点で最近の楽曲としては非常に珍しい(はず)。

余談だが、ミセスの8thシングル「僕のこと」はもっと複雑な構成をしている。この話はまたの機会に。

また、ほぼ全編を通してストリングスが印象的に用いられている。なんという美しいメロディラインであろうか。ここも集中して聴いてみてほしい。実は歌い出しサビ後のフレーズなんかはスリリングな音階をなぞっている。

ちなみに「鯨の唄」も全編ストリングスのそれはそれは美しい曲である。おそらく元貴さんはストリングスが大好物なのだろう。元貴さんとは是非クラシックの話をしたい(わかる)。

 

様々なジャンルの共存

 

この曲の最大の特徴はなんといってもここだろう。このジャンルの豊富さである。1曲に詰め込む情報量ではないのだ。前述したようにポップ、ストリングスを巧みに用いたシンフォ、アイリッシュ音楽、これまたストリングスを絡めた重めのロックとこちらはお腹いっぱいである(褒めている)。

おそらくポップやロックに分類される通常のアーティストは曲を制作する際、ジャンルをまず決めるはずである。その場合大抵というかほぼジャンルは1つ(あるいは2つを融合したもの)だ。そしてそのジャンルの中で、歌詞やメロディ、特徴的な声などでアイデンティティを堅持しようとするアーティストはごまんといるだろう。だが元貴さんは違う(前回に続き2回目)。1曲に全てをぶち込む勢いなのである。しかも1つも存在の浮いているセクションは無く、そのどれもが「共存」し、曲として極めて自然に仕上がっているのだ。

もちろんこういったことをやってのけているアーティストは日本や世界に他にもいる。シーン最前線にいるアーティストにはこういった芸当はおそらく可能だろう。だがこれはそこらの20ちょっとのミュージシャンにできた芸当ではない。小6からひたすらに音楽のみに向き合い続けてきた元貴さんだからこそ為せる、音楽への愛の結晶なのである。

僕にはこの曲が、ミセスが今まで培ってきた、表現してきた音楽の集大成のような気がしてならなくて、ライブで聴いたときに涙が止まらなかった。

 

最初と最後、たった1音の変化

 

この曲の中で1番感動した仕掛けを紹介しようと思う。このパートでは、たった1音の変化

注目していく。

冒頭のサビ、「馬"鹿"げてないバカになれ」(太字部分)の音は「#レ」である。

一方で最後のサビ、「あ""を捧げる人になろう」の音は「ミ」である。

 

そう。半音上がっているのだ。この違いになんとなく気づいた人もいたかもしれない。これは間違いなくわざとだ。当たり前だが、CD音源は何度も試行錯誤を重ねてレコーディングしているので良いテイクが取れるまで当然何度も録り直す。そのため、この部分を同じ音にしようとすればできるが、そうはしていない。間違いなくわざとだ(2度目)。

おそらくこれは歌詞と強く結びついているのだと思う。どちらの歌詞も元貴さんらしい言葉だが、これまで一貫して歌ってきた「人間愛」を聴いている人たちにも持ってほしいという最も強い願いが表れているのが最後の歌詞なのだ。なので、最後の音の方が正しい、ないしは元の音であると言える。最初の歌詞から最後の歌詞に経過してゆく様子を音楽でも表現したかったのではなかろうか。

ちなみに音楽的にも最後の音はこの曲のキーである「Gメジャー」のメジャースケール(長調の場合のドレミファソラシドの音階)に含まれる音なので、こちらが正しいと言えるだろう。Gは日本の音階で言うところの「ソ」。

 

まとめ

 

いかがだっただろうか。今回も案の定半端ない分量になってしまったのを改めて謝罪させてほしい。ちんちん(強い誠意)。とはいえ、それなりに新たな気づきがあったりしたのではないだろうか。特に最後のことなんかはこれからいろんな音楽を聴く上で重要な気づきかもしれない。

まあとにかく、これを読んだ人の中でミセスの曲の見方が更にいい方向に変わる人が1人でもいればそれだけで嬉しいです。

それではまた次の記事で。風邪引くなよ(某フロントマンの受け売り)。

山崎賢人「女の子の1番の化粧は笑顔」ぼく「は?」

はろー。イチローが引退発表しましたね。なんだか感傷的です。私事ですが、小学2年の時に野球を始めた僕にとってあの世界一野球のうまいおじさんは間違いなくヒーローでございました。何回読んだか分からないくらいイチローの伝記読んだなぁ。おじいちゃんに永遠とイチローの映像見せられて手本にしろって言われてたなぁ。早朝のニュースでイチローの活躍をいつも目にしてたなぁ。

 

Twitterや米メディアの映像も結構のぞいたのですが、どれほどイチローが世界の野球人から敬愛されているか、わかってはいるつもりでしたが改めて思い知りました。アメリカの野球解説者が泣きながらイチローがどれだけ偉大かを話す映像が忘れられん。

イチローの打ち立てた大記録の数々を1人で塗り替える野球選手はおそらく今後現れないだろうし、あんなメンタリティーで野球と向き合い続ける選手も現れないことだと思います。45歳ですよ。ちなみにこの人、現役生活でケガで治療した回数なんとたったの1回(小さなケガはあるかもしれない)。どんなスポーツでも毎シーズンビッグプレーヤーがケガをするのがスポーツなのに。プロ意識とはまさにこの人のことなのだ。

 

余談も余談なのですが、僕はサッカー始めて10年になります。野球で51番(イチローの背番号)をつけるのはあまりに恐れ多かったから、サッカーで背番号を51にしてました。中1までそうしてたかな。ビビりとか言うなよお前でも流石にそうするだろ。

 

ちなみにサッカーで言うとああいうメンタリティーを持ってるのは本田圭佑です。この人も日本人のメンタリティーではないです、世界と戦うマインドを持っています。世界と戦うには日本人らしい遠慮はマイナスなのです。俺が俺が、である必要があるのです。話すと長くなるのでこれ以上話しませんが。

 

心絵

心絵

 

野球といえばメジャーは今も見返すくらい好きです。多分この曲も永遠に好きなんだろうなぁ。同世代なら皆知ってる曲だと思われる。おそらく同世代、それより少し前の全ての野球人のアンセムです。この曲、横浜DeNAの宮崎敏郎選手の登場曲なのですが、本拠地横浜スタジアムではこの曲が流れるたびに大合唱が生まれます。その光景が大好きなのです。これこれ。ちなみにメジャーの舞台も横浜です。なんか凄いよね。

20170906 宮﨑敏郎サヨナラホームラン 心絵 - YouTube

 

マジで誰が読むんこれ…自分事を長々と語ってしまい申し訳ない限りでございます。ちんちん。あぁ悲しいのう。二階堂ふみかわいい。それではまた次の記事で。

Romanticism

どうも。春が来たぞー。暖かいのう。春眠暁を覚えず。春の夜眠り心地良すぎワロタ。朝起きれねえ。

てなわけで、今回は前回予告した通り、先日各サブスクサービスで配信が開始されたMrs. GREEN APPLEの新曲「ロマンチシズム」について自分なりの考え・感想・分析をつらつらと書いていきます。元貴さんがどこまで意識的に仕掛けを設けているかは分からないので、あくまで僕視点です。一応目次を作っておきます。それではレッツゴー。

 

 

タイトル「ロマンチシズム」

 

まずタイトルについて。

「ロマンチシズム」って何だろう?まーたあの人は哲学用語か?などと考えた人もいることだろう。ロマンチシズムとは、Romanticismのカタカナ表記で、日本語訳はそのまま「ロマン主義」らしい。じゃあロマン主義って何よ、てことで以下Wikipedia引用。

 

ロマン主義(ロマンしゅぎ、英: Romanticism、仏: Romantisme、独: Romantik、伊: Romanticismo、西: Romanticismo、葡: Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動の一つである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇など様々な芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義自然主義などをもたらした。

 

結構長々と引用してしまった。が、要は『理性的・合理的に動くよりも感じたままに思ったままに、客観的に考えるのは一旦やめて自分視点で想像力をはたらかせて動こうぜ』ということだと思う。その主観的な動きがこの曲にも大きく関わる恋愛賛美とかオリエンタリズムとか夢とか神秘とか、所謂「ロマンチック」なものを追求する動きへと繋がったのではなかろうか。

 

ちなみに音楽的なロマン主義(ロマン派と呼ぶことが多いが)は、中学の音楽の教科書に載ってたのはショパンとかその辺の時代の作曲家一派のことを指すと思われる。これはあまり関係ないかも。

 

あともうひとつ、ジャケットの犬はこの「ロマン主義」と何か関係でもあるのかなと思い調べたのだが何も出てこず。単に曲の音楽的イメージとか可愛さとかから犬というイメージに結びつけたのだろうか。ジャケ写もかわいいし。何か分かった人いたら教えて。

 

とまあタイトルから僕ができる話はこのくらいなので終了。歌詞とどう繋がるのか。次。

 

歌詞から紐解くロマンチシズム

 

次は歌詞がどういう内容なのか意味なのかを僕なりに掘り下げてゆきたいと思います。何回も言うけどあくまで僕視点です。行くぞー。

 

まず全体を通して、この曲は恋と愛とそしてやっぱり人間のことだな、人間愛歌だな、と思う。また資生堂SEA BREEZEのCMタイアップというのもあって歌詞にも「白熊」などSEA BREEZEを連想しやすいものが組み込まれているようにも思える。伝えたいこととタイアップへの考慮、両者の絶妙なバランス感覚が元貴さんの凄いところである、というかプロの作家の凄いところである。

 

でもって具体的な内容に踏み込む。この曲は、2番まではサビ前半までが言うなれば「表テーマ」、サビ後半が「裏テーマ」であるように思える。

「表テーマ」では純粋に恋を歌い、「裏テーマ」では恋と愛を通して分かる人間らしさ・人間の愛らしさを歌っているように感じた。今回はこの2つにわけてこの曲の歌詞を紐解いていこうと思う。

 

まず表テーマから。

 

流石にそろそろあなたに恋する私に気づいて欲しいのです。

 

こんなキュンキュンする詞があるだろうか(反語)。こっちは勇気を持ってあなたに声かけたんだから、精一杯のアピールをしたんだからそろそろ気づいてよ、というスーパーキュンキュンワード(語彙選択の誤り)である。なお筆者の僕は男子校出身なので非常にチョロいため、仮におかずクラブ・オカリナからこれを言われても1.0×10^-4秒くらいはキュンとする自信がある。まさに瞬間汗キュンである(わかる)。表テーマにおける最高のパンチラインである。

 

心動いたならあなたに恋する僕を見てみて欲しいのです 僕に気づいて欲しいのです。

 

からのコレである。僕の勇気にちょっとでも気が変わったらあなたに一生懸命に恋する僕も少しは見てみてね、とこれまた以下同文なスーパーk(

失敬。それと、この曲の凄いところは一人称に「僕」と「私」両方が使われているところ。これによって男女問わず感情移入がしやすくなっているように思う。流石です。

 

次に裏テーマ。むしろこっちのほうが書きたいことまである。

 

愛を愛し 恋に恋する

僕らはそうさ人間さ

愛裏返し 故意に恋する

奴らもそうさ人間さ

 

前述した「サビ後半」とはここからのことです。全体の割合としては非常に少ないが、ここに言いたいことを詰め込んできていると思う。

『人間は愛が好きで、恋が好き。恋をすること自体に恋をしてしまう(自分が恋をしている状態が好き)ものなのだ。ただその一方で、愛情をうまく表現できずに気を引きたいけどやり方を間違って失敗するひねくれ者がいたり、恋するぞ〜と意気込み過ぎて空回りする奴がいたりする。彼らだって人間なんだから、優しくしてね。』

ということを元貴さんは分かってほしいのではなかろうか。もっと言うと自分という人間を、自分と同じひねくれた人のことも分かってあげてね、愛してあげてね、と言いたいのではなかろうか。ここで面白いのは、元貴さんは「僕ら」ではなく「奴ら」側の人であるということである。恋がメインテーマの曲で自分を三人称に置いて歌詞を書いているのである。何なのこの人。

ちなみに「恋に恋する」という表現を使っている英国の有名な詩人がいたので揚げておきます。

In her first passion, a woman loves her lover, in all the others all she loves is love.

- George Gordon Byron (バイロン) -

女は初恋では恋人に恋するが、その後は恋に恋する。

(英国の詩人 / 1788~1824)

 

なんと見事にロマン主義の時代(18世紀後半〜19世紀前半)とかぶっているのだ。元貴さんはこれ知ってたのかな?ヤッベッゾ(ナ◯ル)。

 

出会いを介し ちゃんと愛を知る

私はそうさ人間さ

悪戯にも哀を知り 君と居たい意味を教える

僕の人生さ

 

2サビ後半もまた元貴さんらしい愛に溢れた言葉である。

『気持ちを弄ばれたりとか、思わぬ他意に傷つけられたりもしたけど、それでもあなたのことが好きだというのは一体どういうことなのか考えてね。』

とある種聴き手に対しての問いかけにも思える詞である。人間の汚い部分も僕は愛せるよ、それでも愛おしいと思えるよ、とデビュー当初からミセスが歌い続けてきた人間愛をこういう恋の曲でも表現しているとしたらこれは凄いことだし、それほどにその想いが強いというとだろう。拡大解釈かもしれないが、今までミセスが表現してきた内容からの推測なので、もしかしたら共感してくれる人もいるのではないだろうか。

それと何が凄いって、この語感の良さ、リズムでこの内容を元貴さんは伝えてきているのだ。しかも韻まで踏んで。凄過ぎるのである。奇跡みたいな曲なのである。

んでもってこうして全体を見てみるとなるほど確かに恋愛賛美、人間愛な曲でタイトル通り「ロマンチシズム」だな、と思える。ほんとに凄いね。

 

とまあなんと雑なまとめ方で歌詞についての考えをつらつらと書いてきました。これを読んだ人の歌詞に対する考えが前より少しでも広がればよいなと思います。

ちなみに英語では「愛」も「恋」も「love」と訳されるよね。これはとても示唆的で面白いことだと思う。日本人の情趣ってすんげえなぁ みつを

 

音楽的視点から紐解くロマンチシズム

 

次です。長いですね。ここまで読んでくれた人好き。さあロマンチシズムが本当に面白いのはここから。毎回常に何かしら音楽的な挑戦を仕掛けるMrs. GREEN APPLEですが、今回も仕掛け、あります。かなり具体的に掘り下げていきます。興味ある人レッツゴー。

 

まずAメロのメロディ。多分気づいた人もいるだろう。「あなたって人はどんな人?」の部分、実は元貴さんの音楽を始めたルーツである、MONGOL800「あなたに」のAメロのフレーズ「人に優しくされたとき」とほぼ同じメロディラインなんです(うるさいことを言うと両曲のキーは違う)。

おそらく意図的ではないとは思うが、このタイミングでルーツが溢れ出てくるのは面白いな、と個人的に思う。まあ流石に作った後に自分で聴いてみて気づいてるとは思うけど。

 

次にBメロ。ここではとても面白い手法を採用している。

イヤホンをつけてこの曲を聴いてみてほしい。左右から流れてくるボーカルは同じだろうか?

おそらくここでは同じメロディラインを別録りして左右に結構PANを振っている(「募る」の部分は片方がハモっているが)。

いわば「左右から同じメロディが聞こえるけど別々に歌っているように感じる」状態になっているはずである。これにより緊張感、臨場感がもたらされ、静かになるここで使うことでサビとのメリハリがつき、結果として曲全体の印象を引き締めるのである。

この「ボーカルを二重にする」という手法は主に最近の洋楽で多用されていて、歌唱力のあるボーカルにしか使えない。なぜならば左右にPANを振ったとき、メロディを少しでも外すと気持ち悪く聞こえてしまうからだ。ハモりだとなおさらである。元貴さん凄いね。

 

そしてサビ。これはとてもわかりやすい。聴けば分かるのだが、ボーカルメロディに1オクターブ上で重ねている。所謂「オクターブユニゾン」と呼ばれるものである。しかもボリュームもほぼメインと同じくらいで。

これは曲にパーティー感を出したいときやメロディを強調したいときによく用いられる手法である。日本のアーティストで言えば(ちんちんが小さい)星野源や、King Gnuなどが多用している。ミセスの曲で言えば庶幾の唄も同じ手法である。

これに加えてサビ後半のハモりもまあそれは面白い。通常こういった明るい曲(長調)の曲はボーカルに対して上下3度か5度でハモるのだが、元貴さんは違うのだ。が、これ以上は本格的な和声学の知識が必要なのでここで止めておきます。気になる人は学んでみよう。

 

それと歌詞のパートでサビを前半後半に分けたと思うのだが、ココでも同じ。サビ後半にリズムパターンが変わるのが分かると思う。前半では裏打ちだったのが後半では表に小節頭に2拍打ちに変わっている。

おそらくここは前述した歌詞の変わり目と連動させているのではなかろうか。これも僕の解釈・考えに過ぎないのだが。

 

余談だが、僕は元貴さんの歌心にはいつもどこか隠し切れない「憂い」があるような気がしている。クリティカルな言い方をすると、エッジボイスの使い方や息の量の増減のタイミング、発音(歌詞に応じた口の開き方)がすべて哀しみを帯びている、ということだ。それが無意識なのか意識的に出しているものなのかは本人のみぞ知るところなので何とも言えないが、僕はそれがたまらなく好きだ。歌い方は昔と随分違うのだが、そこは変わっていないように思える。

 

結果的に主にボーカルにフィーチャーすることになってしまったが、掻い摘んで話すとこのくらいである。間奏のコード進行のアレンジが面白かったりするのだが、今回はここまでにします。

 

まとめ

 

といった具合に、Mrs. GREEN APPLEの新曲「ロマンチシズム」をタイトル、歌詞、楽曲、それぞれの側面から紐解いてみた。いかがだっただろうか。こんなに情報量のある楽曲を毎回作ってくる元貴さんがいかに凄いかも分かっていただけたかもしれない(もう既に分かっているかもしれないけれど)。

音楽は多面的に捉えることで何十倍にも魅力を増すものだと思います。何気なく流し聴きするのも一興ですが、折角楽しむならできるだけ多くのものを享受できる方が幸せではないでしょうか。

音楽のことを話すときはこんな具合でやっていこうと思います。今回はだいぶ長くなっちゃいましたが。これを読んだ人のミセスの聴き方・音楽の聴き方が豊かになれば良いなと思います。あと次回は何書くか未定です。

それではまた次の記事で。

チョコプラは一発屋なのかどうか

初投稿である。どうも。大学1年春休み現在夜中3時を回り、星野源の下ネタオールナイトニッポンを聴き終わり、それにより天啓を授かり備忘録を、と思い今に至った。(星野源は神)

 

としょうもない前置きはここまでにして、マジで思いつきではありますが、コレを備忘録やら何やらにすることにしたので、コイツ何か言ってんな覗いてみるかと思ったら隙間時間潰しにでも読んでもらえれば、です。ちなみにサイトの名前に深い意味はないです。本当に怖いので。

※さきに断っておくと僕は文章構築能力が低いので、同じことを繰り返し書いたり前後関係がおかしな文章を書いてしまう可能性があります。気楽に書いているため推敲も特にしないので悪しからず。

 

自己紹介を雑にしておくと、筆者の僕は現在大学1年19歳彼女なし、バンドやったり曲作ったりずっと音楽聴いて楽曲分析したりしております。自作曲・アレンジカバーはeggsというアプリに投稿したりしてます。リンク貼っとくので暇な人はよかったら聴いてみてください。

nagi(nagi4869)のEggsページ|インディーズバンド音楽配信サイトEggs

 

てなわけでこのブログの具体的な内容としては、主に日頃の生活で思うこと、好きな音楽のこと、凄いと思った音楽の話、星野源のちんちんは小さい、などである。

凄いと思った音楽の話ってのは、おそらく誰でも一度は感じたことがあるであろう「曲に対する違和感」「ここの部分、なんか変な感じだけどクセになる」といった、正確に言語化できないけど体感はしている音楽の側面を、音楽的にはこうなってるんじゃないかなと僕視点でなるべく知識のない人にも掘り下げてスッキリしてもらえたらいいな、みたいなことです。当方現代音楽理論と和声学は一通り学んでいるので、曲がりなりにも現在世に出ている音楽を細部まで分解し、分析することは可能です。音楽は理論的にも理解する方が絶対楽しいです。スッキリしたい人ぜひ覗いてみてください。あるいは変な感じの正体を知りたい人、Twitterでリプ飛ばすなりしてください。

 

といった感じでほんとに適当にやっていきます。次回はMrs. GREEN APPLEの新曲について自分なりに思うことでも書こうかなと思います。次回からどうぞよろしく。デュエルスタンバイ!